大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

性被害に遭ったことのある方へ 特に性成熟以前(初潮、精通以前)に一方的な性行為をされたことのある方へ

おそらく、性被害に遭われた方の一番の苦しみというのは自身の性を直視できない、自身の性を喜べないということではないだろうかと思います。
私は、性行為というものが幼少期に行われた見知らぬ人からの行為だという印象がとても強く、自慰行為のときにも「心底嫌なのに思い出す」という矛盾に苦しみました。
ではこれを表明したら、こういった行為をしてきた大人にしてみれば「自分の行為で欲情している」と勘違いすることになる…私はそう考え、この種の物事は誰にも言わないようにしようと長年決めていました。

恋人ができてもこのことは伏せたままでした。
今思うと、彼らに話してもよかった気がします…ただ、彼らにとって性の目覚めは喜びだった、自分にとっては嫌悪感を抱く物事であった、この差があまりにも広大で、とても話が通じないと思ったので結局、肌を重ねる相手にも私は何も言いませんでした。

そしてもうひとつ、性的被害に遭ったということは本来一時的な物事です…しかし、性被害に遭ったということそのものが、自分の根幹になってしまっている、いつまでも被害者のままで居る部分が強く残っている、そのことに対する自分へのやるせなさを強く感じます。

ですので私は、これ以外に言葉がないので「性被害にあったことのある方」という言葉で、同様の人を表したいと思います。
「性被害者」ではなく、被害に遭ったことのある、人間、という意味です。

私は、被害に遭ったことをそのまま書いて本を出す人などに疑問があります。
そのようなことは、ある意味で、性被害に一種の正当性を与えてしまいます。
被害に遭った苦しみが強いと言うこと、それは本心なのでしょう。
しかしそのこと自体がその人の個性になるほど、性被害という物事の持つ力が強い、ともとれます。
つまり加害者側への「あなたは強く私は弱い」ということの意思表示、加害者に負けたと言っているようなものです。
また、一時的な暴力のせいでその個人が変化してしまうというような幻想を、これ以上社会に抱かせるべきではないと思います。

今、冷めた視点から、当時のことを思い出してみると…
相手の局部の小ささ、愛撫のぎこちなさ、暴力性、嫌悪感、全く意思疎通がとれない状態、動物扱い…そんなことしか浮かびません。

良いセックスを知る、ということが、この種の物事…この種のトラウマを乗り越える一番の秘訣だと私は考えます。

良いセックスを知るにはどうしたらいいのか、本来ならば良いセックスを知る場が男女ともに必要です。
しかしそのような場は今現在ありません、明治以降どんどん絶えたといっていいでしょう。

だから、苦しいのです。
だからいつまで経っても被害者のままなのです。

もしかすると今は、性被害を受けた人間にとってみれば非常に窮屈な社会なのかもしれません。
私は実際の「大昔」を知りません、ですがこの数代で築きあげられてきた強固な一夫一婦制には疑問ばかり感じます。
現在の社会で、生活しやすく生きるのならば結婚はうってつけです。
しかしそれは社会という面、金銭等のある一面に於いてはの話です。

人には逸脱する瞬間が必要だと私は考えます。
それが成熟するということです、多面的要素を自分で把握しながら生きるということです。

加害者はいつまでも強いのでしょうか。
あなたはいつまでも弱い被害者のままなのでしょうか、被害者のままで居続ける人間がいる限り、加害者は強いままです。

私は、何かこの…心理的な強弱の概念さえ覆すことができれば、世の中から強姦がなくならずとも、人がその後遺症で苦しむことは減るのではないかと考えています。

そこでできること、今の自分にできることは単にこの考えをこうして書いて、誰にともなく読んでもらうことです。

 

意識が少しずつ変化し、苦しみが癒えるように願っています。