大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

母親になる事の難しさ

私は、性と善悪を結び付けてはならないと感じています、それが「汚れた女性」という背徳の幻想を作り出してしまうからです。


さらにそれは商業主義と結びつき易いため、暴行という一方的な行為すらも堂々と売られています、結果的に被害者が立ち直れない上、性もまた相互補助であるという(私の)理念から遠ざかる気がします。

 

私はある男性と同棲していたとき、避妊していたにもかかわらず妊娠しました。
相手の男性はあれこれ理由をつけ、実際に家を出てしまいました、もちろん生活も困窮しました、つわりを隠しながら堕胎までの間働くのは心底みじめでした、しかし私は相手の男性の事を裏切りであるとか、騙したとか、そのようには思いません。
もちろん失恋の悲しみは凄まじいものでしたが、彼の思考の先には彼自身が居て当然です、私は彼の妻には相応しくなかった、振られてしまったという事なのだと理解しました。

 

私はもっと別の理由で悲しんでいました、窓から見える家々、その遠くに霞む沢山の建物…その誰にも、私と私の子供は存在いしないのだとうことが私をさらにわびしい気持ちにさせました。
母子、というものは極限の孤独なのだと私は思いました、実家というものは父と母の引越し先であるさらに狭い空間でしかない上、父は癇癪持ちです、それに両親は既に働いていません、私が生活面、そして情の面でも頼れる人というものが全く存在しないということが私を苦しめました。

 

若い頃から、男性と肌を重ねると必ず身体的な事…例えば「もっと胸があればいいのに」等と言われてきました、乳房や下腹部の形状についても「理想とは違う」という感想を述べられる事が度々ありました。

 

多分今誰かと肌を重ねたら、身体の事に付け加え「もう少し若ければいいのに」と割と遠慮無しに言われると思います。
「俺の彼女になって」という言葉が、結局のところ「俺専用の理想の女体であってくれ」というものに昔から感じました、そこでいう理想の女体とは、性産業の作り出した幻想の女性、背徳という概念を纏った幻の女性、整形までもを施した流行の肉体…身体的反応が顕著に表されることこそが相手への愛なのだという謎の理念の押し付けに感じられます。

 

私が達したかどうか、私の胸が理想に比べて小さいかどうか、そのような事はすぐに言われますが、肌を重ねた男性で私の身体のほくろに気づいた人は多分居ません、私が私自身であるということへのこだわりを見抜いて私を愛でた人は、残念ながら居ないでしょう。

 

究極的に、現在の性の場に於ける理想の女性というものは、精巧に作られ反応を示すだけの美しい人形でも事足りるのではないかと感じました、おそらくこの諦念を感じる女性は多く居るでしょう。

それこそが性産業のもたらす不快感です、性の場が快楽ではないのです…性産業に慣れてしまうと、自分の反応というものがおざなりになります。

 

これは男女双方がそうです、男性も自分を省みることができなくなります、本来女性の性というものは相手により反応が変化するものです。
相手がいかに自分を見てくれているかどうか、そこに快楽の鍵があるからです。
性産業の観賞媒体などが性の見本になってしまうと、男性本人の反応を見てくれる相手が居ないにもかかわらず…女優の大げさな演技や、若さや美しさ、作り物を詰め込んだ豊満な身体などが女性の見本になってしまいます、時には暴行されることまでもが女性の快楽であるという思い込みまで生んでしまうのです。

 

そして女の友人に言われるのが「母親になりなよ」という言葉です。
子供を産まないのは女として生まれたのにもったいないという気持ち、その配慮から言ってくれているのはわかります。

 

ただ私にはどうしても一致しませんでした、暴行を受けたこと、学校で習った性教育、実際に色々な恋人とした「架空の」商業的理想を追うようなセックスと、それにまつわる私の身体への「理想に足らない」と相手を変えても遠慮なく言われてしまう現状、実際の妊娠時の強烈な孤独、私が「母親になる」こと、それらが結ばれないのです

なぜならそのこどこにも、「私自身の性の歓びを共有できる相手、場所、社会的風潮」が存在しなかったからです、性の場で私は自分自身をみつけることができず、自分を表現する相手もみつけられなかった、そのことを強く、素直に残念に思います。


だからこそ、私は自分は子供を産むのに適さなかったと今は思います、実際の性と理想の性の中に自分自身の性を見出した人が出産しているのだと思うからです、そのような意味で、子供の居る人というのが羨ましい気持ちです、私では到達し得ない境地におられるのだと思うからです。

 

そして世界規模で考えると人口は溢れかえっています、先進国の陥る少子化は、あえて男性の理想の性を追わせるという風潮で、生物学的に意図的に人口を減らす力が働いているのかと私は勝手に推測しています。