大熊あれいブログ

絵画やイラスト、詩や独白文章を公開しています。不定期です。

何のために生きるか

自分の本当に求めていることはなんだろうと探ってゆきますと、社会性や生産性は皆無ですが絵や文章をかいて過ごしたいということです。

私は幼い頃、宝石の広告を見るのが好きでした。
でもとても不思議でした…色とりどりの指輪やネックレスや貴金属、それらは結局印刷された用紙でしかないのです、私自身は本物の宝石を見たことが無い、それなのに何故自分がこのただの紙を「美しい」と直感するのか本当に謎でした、その疑問はずっと私の中に留まっていました。

そして去年緑の中に越してきて、家の隣の田畑を見たとき、その疑問が再び湧き上がり、そして解けました。
稲穂の実る時期になると、鳥避けのキラキラ鋭利に光るテープが四方に張り巡らされます。


しかし2~3日もしないうちに数百羽の雀たちが、まさに金銀に光る稲穂の海を泳ぐが如く飛び回り、思う様米を食べに来ます、きっと雀たちの中に「去年や過去」を知るものが居て、人間の取り付けた鋭く光る紐が無害だと仲間の雀に教えるのでしょう。

この、田んぼの実る風景もまた、私は実物を目にするのが初めてだったにもかかわらず、強烈な懐かしさを感じました。


そして思いました、誰も「本当の」原風景などを目にした事など無いのだろうと…全ての物事は何かの形骸化なのかもしれない、その中でも感覚に「美」であると訴えかけるものこそが、残ってゆくのだと、世の中は美のイデアの転写なのだと感じました、だからただの宝石の広告用紙でも直感的に美を感じたのだろうと理解しました。

 

今まさに、窓の外、眼下の真緑の田園を一陣の風が吹いてゆくのを感じます、するとその青い稲穂の絨毯の上を、縦横無尽に人ならざるものが歩いているように見えるのです、そのように田畑全体が揺れるのを見ていると…日本古来の思想である「山から来訪神が来て春から秋まで田畑を潤す」というものが実在するようにもまた感じられるのです、そのような神話を私は体感するのです。

 

このような、自分にとって美的発見をするとき、私は自分の内的幸福、快楽の中の快楽に包まれます。
このようなとき、私は自分自身が消え去るのを感じます、周囲に霧散するのを感じます、自分が存在しなくなるところにこそ自分の強烈な幸福が現われるのを私は体感します。


私は人生にこの瞬間を求めています、この瞬間を表現したいと思っています、先生に生きる目的は何かと問われましたが、強いて言えばこれが目的です、これを表現することが私にとっての芸術です。