大熊あれいブログ

文章ブログです、雑記帳のような感覚で主観的、感覚的に詩やエッセイのような独白文章を書いています。不定期です。

黒い紙(詩)

まだ寝床に居る素裸の時分
黒い大きな紙が
私の視界ギリギリに迫った
それは揺れていて
意外なほど好意的であった

 

黒い紙は私に服として巻き付くのかと思いきや
誰かと私との間に立ち
両者の意志を仲立ちしているかのようだ

 

起床した私は
自分が今しがた恋人と別れたことを知った
あの黒い紙が
私たちの間に挟まり
人間関係上の一時停止を
してくれているのだと素裸で理解した

 

今日
逢うはずだった貴方は
今日
ついに私の匂いのしない布団で
寝ているのだろう
恋人だった貴方よ
黒い紙を
貴方は型紙に使うのかしら

 

貴方も
泣いてなどいないでしょう
私たちが私たちであると感じたのはこれがはじめてなのだから

 

黒い型紙で
私の服を
作ってよと鏡に嘯く

 

恋を着れたら
恋を脱いだら

 

私は新しい肌に
なるために口紅と頬紅を買う
いみじくも女である私の
型紙は元から無い

 

だから
黒い紙に私は

 

次に会ったら
私の服を作ってと
白々しくも
女である文言を
書き残しておくのだ

 

いつか
私たちの間の黒い紙が反転されたときに

貴方が喜ぶことを、と

 

小さく手を振り
一人素裸で眠りに就く
肌寒い失恋の夜

 

 

春の霊峰(詩)

 

あの団地に居た小さい頃
ひどく怒られたその後によく
震えながらベランダに出て私は
私にしか見えない山を
夕日を浴び膝を抱え
詣でた

 

春の霊峰は
タライに水を張った
その中に浸してある色とりどりの水晶にのみ内在する
水晶をひとつ
コンクリートに水が滴り灰色がさらに黒ずんでゆくのを尻目に
空気に引き上げて瞳の前にかざす

水晶の中に山脈が
白い頂をこちらに向け
微笑んでいる

 

私は
そこへ行きたい

 

涙が
あふれ出て白い峰をさらに透明にしてゆく

 

西から
降りてくる風は
ついにこの団地まで来て
植林された大木を揺さぶるとまた夕日と共に帰って行く

 

父母の呻き声
猫の交尾

 

それらが薄暗い一階の部屋から
春の泥の中へと
降りて降りてゆき
沢山の虫たちを励ます

 

私の山はこの手の中
私の山は水晶の中
私の山は涙の中
私の山は

 

春の霊峰はどこにも

 

だから山は
いつも白く
いつも
透明である

 

 

シャーレ(詩)

 

若き日の母は白衣を着
シャーレという小宇宙に生物の種を撒いて発芽させる仕事をしていた

蛍光灯の白
奥の廊下をさらに
突き進むと動物実験棟に至る

 

ふとした折

と断定できぬ
叫び声がする

 

そのような禍々しい場所のすぐそばで母は
白衣という法衣にその身体を包み
素知らぬ顔でシャーレの世界を見つめていた

 

微生物が蠢く
春の世界では誰もが
母を
神と崇めていた

 

窓の外から光が偶然にも
私に一筋の道を照らし出しているその時
私は

法衣を着た母を選び

彼らとすれ違ったのだった

 

使い捨てられた世界は言った
私たち幾千万億の仏を供養するのだと
彼らが母に言ったので母は祈るようになった

 

透明な使い捨てシャーレは光をそのまま透かして
極小の三千世界をのせ永劫の未来へとひたすらに登ってゆく

 

一方で
幾億度生まれ変わろうとも
私は
母がその身に持つ

たった一つのシャーレに落ちると

 

現在も尚確信している

 

鶴の児(詩)

 

鶴という鳥が実在するのかどうかを知るそれよりも前から

私はその鳥の模様を指でなぞっていた

 母が仏壇に供えていた真鍮の水入れに

刻まれた鶴を

私は薄暗い畳の部屋で一人きり

愛でていた


あなたは

今悠々と冬空を飛んでいるのかしら

それともあなたは

 鶴の児という名だから

親鳥の舞うのを

 

今生は

すまし顔でただ見ているつもりなのかしら


母の信心

そして私の思う美の一致する場所

そこに鶴は居るのだと私は知っている

 

鶴という文字が名に刻まれたあなたを

 鶴という鳥を

 私は

一目見てみたい

その実在を

 私はまだ知らない

 

真冬の鳥

 

今度はお前が

私を愛撫するのだ

鶴よ

鶴の児よ

 

 

 

 

 

 

 

 

腱鞘炎

人間は楽器だ

右手の弦は弧を描いて、送電線を見つめたままぴんと張りつめている

これ以上力をかけたら、霜柱と一緒に、午後には空気に弾けてしまう

手の甲に筋肉は無い、ただ弦が張られているだけなのだ、指先から音を奏でるため、それだけが手の役割だと、身体は唄っている

遠くの、機械仕掛けの弦を、右手はつま弾いてみせた

あの弦にも電流が、右手自身の弦にも微弱な電流が

「私は平気」と右手は言った、「この楽器の欠点は、弦を張り替えられないことね」と笑った

右手は送電線を見つめたまま、自らの弦を少し緩めた、とたんに、肘から薬指までを、真っ黄色の電流が駆け抜けてゆく

「痛みは飛んでいくわ」と右手は嘯いた

「あの弦に今の電流が、送電されたはずだから、それは電気としてまた、私たちに巡ってくるでしょう?だから大丈夫、何も心配いらないわ」

右手と私は決意し、弦を張る、あと一瞬で空気に弾けてしまう、その寸前まで、弧を描いて音を奏でている

わかったって言ってくれ

伝言の伝言の伝言は、微笑みながら網を張って、年末の獲物を待っていた
どうにも足が動かないと思ったら、私は身体をすっかり絡め取られていたらしい

 

君の笑顔のツケを私は払っている
私の当たりの強さと君の物腰の落差に
驚いてしまった分を加算して
相手は支払いを要求している

 

すみませんってもう言わなくて良いよ
わかったって言ってくれ
すみませんってもう言わなくて良いよ
すみませんって台詞はさ、私が言っといたんだから

 

この職場には鳥居があるよね
私はあそこにお水をやったりしているのだけれどね
今日は素通りしてしまったの
ええ嘘だとも、嘘だとも、理不尽についての理由を今、君の笑顔に阿りたくなって編み出してみただけ

 

私の足にはまだ、君の笑顔から生じた網が絡まっているんだよ
伝言の伝言の伝言を、取り消すにはわかったっていう呪文だけが今、必要なんだ

わかるね?

 

だから、すみませんってもう言わなくて良いよ
すみませんってもう言わなくても良いんだよ
わかったって言ってくれ、ただ一言わかったって言ってくれ

 

出来ない約束は誰に対してもしないと、ただそれだけを私に対して言ってくれ

 

だから言わないのか
わかったって、だから言わないのか君は

 

 

 

 

方眼用紙【宗教】

人を殺した事がある、私は11歳だった、表面上は机に向かい、白地に青の線が引かれた美しい方眼用紙を、汚す要領で文字を記していた、人を殺す物語をその時の私は書いていた。

 

方眼用紙上での私は東欧に居た、寒村から始まったこの血筋は未だ寒村に留まり続け、縄張りだけを広げていた…そのような物語を私は、東洋の果てで誰にも知られないように書いていた。

 

物語の中の私は主人公と同一化していた、38歳の男だった、その年のクリスマスに叔父を殺害した、死体は、石を積み上げて出来ているワイン倉庫のさらに地下へ、タマネギを積み上げている場所のすぐそばへ、農具と一緒に並べて置いた、汗をかいていた、叔父の血に触れたくはなかった、火薬の匂いが漂っていた、自分もこのように死ぬのだろうと私にはわかっていた。

 

「雪が…振ってきましたよ」
石段の上から女の声がした、僕の恋人、と私は思った、ぼんやりとした明かりの中彼女は佇んでいた、僕は階段の下から言った「こっちには来るなよ」私は、自分のその声に棘がないか気になった、来るなという意味じゃないんだ、お前はそこに居てくれと僕は願っていた、そう私は記した。

 

それから黙って、石段を上がっていった、自分の革靴が別の生き物のようにぬらぬらと光っていた、恋人は濃い色の髪をきつく束ねていた、給仕の役割をしているのだ。

「僕が頼んだ通りにしてくれよ」

そう私は言ったが、彼女は青白い顔で震えたまま返事もしなかった。

私は急に恐ろしくなった、誰かに見られている気がした、不意に恋人は言った。

 

「そうです、見られています」

私は冷や汗が出た。

「神様はすべて見ています、あなたが好奇心から人を殺したことも、それを隠す事さえあなたが楽しんでいることを、すべて見ています」

私は手を止められなかった。

 

恋人は続けた「あなたがどこへ逃げようとも駄目です、あなたが外国へ行こうと、空想の果てで別人になろうと駄目です、あなたが人を殺してみたいという欲求を具現化させたことは、全部ばれています」私は対抗した、「でも空想でしょ?」どんな返答をしてくるのか、楽しみですらいた。

 

「いいえ」いつの間にか声は母親のものに変化した、私は暗い石段の感触を足に覚えた、畳と違ってずいぶん冷えるなと思った、そこは土の匂いのするワイン倉庫の中だった、干し草が天窓に敷き詰められている、日光を遮るためだ、振り返ると農具と一緒に父が、頭から血を流して転がっていた。

 

「お母さん、お母さん、ごめんなさい、お母さんの好きな人を私、殺してしまった!」

私はそう叫んだ、母の姿は、私の空想した見知らぬ女のままだった、その視線は虚ろだった。

 

「でも、お母さんの信じている神様以外を、崇めたりしてないよ!」

私には父殺しよりもそのことの方が重要だった、私は女に駆け寄った、私はあなたを裏切ったりしていないと伝えたかった、裾のたっぷりとしたスカートが足に触れた、彼女は泣いていた、涙の粒が私の手の甲に落ちた。

 

「命が一つしかないように、あの存在もひとつしかないの、一緒に祈りましょう」

母であるところの女は、静かにそう言った、後ろの方から、寒村の親族達が唄っている声が聞えてきた。

「天にまします我らの神よ…」

私は女を止めようとした、空想をそのまま書き連ねることはたまに、書き手にも予測できない事態を引き起こすことがある、もちろんそれは、表面的には方眼用紙上での話なのだが…私には、現実の母が信仰する祈り以外の文言は、禁忌であった、しかし手を止められなかった。

 

「こら!!!」
私は背後から怒鳴られてはっとした、文字そのものも逃げだそうとしているかのようだった、父がそこに居た、足先に畳の質感が甦った、ペンを持つ手は止まっていた、何度も呼んでいるのに食卓に私が来ないことに父は腹を立てていた。

 

「ケーキもあるから、早く来なさい」
母は父をなだめていた、母に、走り書きとはいえ異教の言葉を見られるわけにはいかなかった、下敷きを取り去って上の一枚、白地に青の模様に記された文字を剥がし、丸めて捨てた、しかし心の内でつぶやいた。

「あの祈りはお母さんが口にしたんだから」

そして気づいたのだ。

「だとしたら私は、きっと、人殺しもしたんだ」

 

もう夜だった、居間のTVからクリスマスの音楽が流れていた、その機械音を聞いているうちに涙が出てきた、私はどこへも逃れられないのだ、どこに居ても、誰になっても、私は自分から逃れられない、泣きながら頬張ったケーキの味を、今でも覚えている。

 

 

首都高速の高架下【詩】

首都高速の高架下、あのコンクリート色の場所は、大きな川辺のすぐそばにある。

 

高架下と交差するように架けられた橋の片隅。
虹の大橋と看板がつけられたあの橋の、そのすぐそば、真上には首都高の裏側がむき出しになっている風の吹きすさぶ場所、そこに木は植えられていた。

 

私がその場所へ、敷き詰められた砂砂利の道を、足の裏をジャクジャクと軋ませながら歩いて行くと木は、微笑んでそれに応えた。

 

私の部屋から、大きな川辺が見えた、首都高も見えた。
川面には、規則正しい不自然な窓辺が、歪んで存在していた、川面では私の部屋もぐにゃりと曲がっていた、木はそれを見ていた。
木は川面を見ていて、私も川面を窓辺から見ていたから私たちは知り合いだった、私たちが知り合いだということを知っている人は誰も居なかった。

 

首都高を飛ばしていたときにね、と私は言う。
死のうと思ったの、と私は言う。
私は助手席に居て、これからどうなるのかなって思ったら笑ってたの、スピードをどんどんあげた車の中で、あの空間だけが世界から切り取られているように感じたの、特に夜の首都高は、街灯の間隔やその明かりの色が、車のスピードに調子を合わせて、その時にしか聴けない音楽を奏でているの、それにさらに色が加わって、私もう、自分が車に乗っているのでは無くて、自分は自分という箱の中にしか存在出来ていない、ということの苦しさに、参ってしまった、だって、と私は一気に言う。


…だって、私はまだ、あなたがここに居るって知らなかったものだから、あなたが、川面を見てるってこと、あなたが、窓辺から身を乗り出して見えない道を探している私を見ているって事を、私は知りもしなかったから、と私は言う。

 

木は頷いた、木が、首都高の事も含めて、私の話すことを理解しているということも、川面にこそ虚偽ではなく本質が映り込んでしまうということを、木が知っているのを私は理解していた。
私と木はそうやって語り合った、そこは本来、海の一部で、砂で出来た島だった、そんな場所に木は来ることができない、だが人がゴミやら土やらコンクリートやら、砂砂利やら首都高やらを持ち込んで、ブロックを組み立て、木もその人口の入り江を構成する一部となった。

 

木が首都高を知っているのは木がそこを通って運び込まれたからだった、木もまた、あの手の道に据えられた灯りのもたらす催眠効果を知っていた、トントントトントントントトントン、わかるような、でも理解出来ないようなリズムで灯りがこちらの皮膜を叩いてくるのを、木も体験していた、夜に人間の手が加わると、それは真横からのオレンジ色の音となって木や人を独特な感覚に陥らせる。

 

コンクリートの地面には、夜の緑の光は無いよと木は言った、私は聞き返した、なに?夜の緑の光って?

木は言った、夜には土の地面から湧き出る緑の光がある、それが昼の間でも木が、地面にしっかりと根を張るための、重くなるための、地面に属するための光なんだよ、だから水鳥以外の鳥は、木の高い場所で休むんだ、そうしないと昼間飛べなくなるからね…私は木の言うことを素直に受け止めた、木の話すことなら素直に受け止めることが出来た、私は木と話していることは誰にも言わなかった。

 

引っ越すときに、虹の大橋へ私は、部屋から出て数百メートルばかり歩いていって、木に、改まった別れの挨拶をした、木を、哀れまないようにと私は思った、木は黙っていた、私が土のある地面へと移動することを、寂しげな笑顔で見送った、砂砂利の、風の吹きすさぶ場所で木は、土を思って眠ったり目覚めたりしている。

 

今度さ、と木はそのとき言った。
土のある土地へ行ったら、夜に外を見てごらんよ、と木は言った。
土のある土地の夜は、緑色だよ、コンクリートの道まで緑に染まるほどの、地面に属するための力が湧き出る場所だと思うから、次の日の昼間は足がうまく運べなくなるかも知れないけれど、あの緑色を見てごらんよ、と木は言った。
あの緑色にね、手を伸ばされかけたんだ、もうこれ以上どこへも行かなくていいように、枯れてしまおうって持ちかけられたんだ、緑の光は、夜の光は、呻き声に少しだけ似ているんだ、ずーっと止まない低い低い深緑色の声なんだ、地下から伸びてくる深緑色の太い一本の、絡まった古い古い毛糸みたいなものが、夜中、触手みたいに他者を探しているんだ…それもいいかなって思ったよ…でも青い朝が来たときにはまだ、枯れてなかった、だからここへ来た、と木は一気に言った。

 

木はしばらくの間風に吹かれつつ、空が、数多の自動車や建物の配管から出る灰色の音で反響するのを聞き入っていた、そして静かに笑った。

 

手を振ったら、人は怪訝そうにしていた、木はまだ微笑んでいた、私がここへは戻ってこないことを、それが幸せだということを木も知っている、木よりもずっと木の性質を帯びている私を、木は許してくれた。

 

首都高速の高架下、コンクリート色の、大きな川辺のすぐそばにあの木は植えられていた、高架下と交差するように架けられた橋の片隅に、人よりも人らしい、おしゃべりな一本の木が居ることを、緑色の夜の光を見た私は、知っているのだ。

 

 

 

 

寒いので夕日を食べる【詩】

寒いので夕日を食べる、もうすぐ冬至なのだ、身体には日の光を蓄えなきゃならない、地面に属する構成のものは、太陽が少なくなると脆くなってしまう、それは人間とて同じだ。

 

橙色のもので代用できる、ぎっしり詰まった夏の身体が恋しい、柔らかく湧き出る春の身体が懐かしい、余分なものが地面へと還りすっきりとしてゆく秋の身体が、私は好きだった、もう冬が身体の内部へと伸びる枝葉の先端まで迫ってきている、枝葉は枯れて冷えている。

 

そういうものだよと私は言う…嘆かずともよいと私は言う。

冬なのに秋のままに、身体から、地面へ栄養を還している状態の人を目にすると、「まだ若いようだ」と私は言う。

それは世辞でも無く、うらやむ気持ちでもなく、事実を私自身に告げるために私は言葉にするのだ、そうすることで冷えた心身が少し、暖かくなる。

 

枯れ枝を拾い集めた、私は植えられた木の、葉の生らない枝を見つけては手で手折った、そういう枝は自分が去るのを、待ちわびているかのようだった、生まれ変わるのを待っているようだった。

私は木々に言う、じきに冬至だから、身体には日の光を蓄えなきゃ生らない、地面に属する構成のものは、太陽が減ると脆くなってしまう、それは木々とて同じだ。

木々は何を食べるのだろうか、木々は日の光と土とを口に入れ、虫の愛撫と、風の衝撃と重力の届かない場所からの涙を何より愛している、では人は何を食べるのだろうか、何を愛しているのだろうか。

 

私は窓辺に立ち、薄い膜のような綿織物を引き上げた、口を開けてその時を待った、いよいよ日が傾いて橙色の一筋となって私の内部へと進んでくる。

 

今、橙色の太陽を食べている、その味は、すべての死者の最後の体温の味、あなたの、何故だか赤い髭の毛先の味、これから生まれるすべての卵の黄身の味、それが私の、脆くなった身体の隙間を少しずつ満たしてゆく、その温度を私は手放さないようにする、それが冬の、地面に属する構成のものの仕事、存在を目的とするものすべての役目である。

 

寒いので夕日を食べる、脆い私は、ぴんと膜の張った私を懐かしく思いながら、冬至を待つ、口の中で橙色の熱い火がパチパチと瞬くのを楽しみながら、手折られるのを、生まれ変わるのを、ただ一人待っている。

 

 

 

芝生で覆われた土手一面に、霜が降りて光っている【詩】

芝生で覆われた土手一面に、霜が降りて光っている、そんな朝はただひたすらに青く、湖に街ごと沈んでしまったかのようだ。
この青い空気を羽に内包しているらしい白鷺が、音も無く飛翔する、そのまままっすぐ、あの橋の下まで。

 

あの橋の下で私は一晩中過ごした、寝袋に入って、ひたすらに朝を待った。
わかっていたのだ、投函された手紙はもう誰にも読まれない、それを取り戻すために私は歩いてきた、今手に持っているこの手紙が、最後の文字。

 

文字は踊っていた、どこか力の無いその文字たちは、夜が好きでは無いらしい、手紙から逃れようと踊りながら、私に気付かれないようにもがいていた。
私は逃げない、あの人から逃げない、そう繰り返したが寝袋は棺桶のようだった、その棺桶を照らす光に、私は気付いた。

 

夜にも光があると、知っている人はどれくらい居るのだろうか、昼間降り注ぐ光とは別種の、地面から湧き出る緑色の光。
緑色の世界から鳥は逃れている、緑色の光は昼の光の中飛ぶのを妨げるのだ、だから鳥たちは木の上を宿とする、私は寝袋から出て、自分が、発光する地面からの光に染められるのを、朝には膝下まで真緑色になるであろうことについて、祈りながら耐えた。

 

祈りは両目から水となって地面へと還っていった、生まれることが間違いなら、地面へ戻る方が行いとしてふさわしいと、あの人は言っていた、あの人の匂い。
匂いは手紙から染み出ていた、それは夜をはね返す真昼の室内を思わせた、手紙だけは真昼の時空を維持していた、文字がなぜ逃げたがるのかその時にわかった。

 

私も文字も空間からにょきにょきと生えている一粒の水に過ぎない、空間を超えることは叶わないのだ、私はもうあの人に会えないのだと、その時に知った。
すべての水がほんとうに溶けきるときに、光が、青でもあり緑でもあり、真昼の卵色の光でもあるとき…そのような時が来ない限り私はあの人には会えない。

 

電気だって光だ、そう思った私は地面へと還るため、高圧電流と書かれた看板の下まで、あの橋を過ぎて次の柵の所まで歩いた、手紙も、文字達も地面に還したかった。
そこは昼間でも鳥の一羽も来ない場所、せっかく実った柿の木もうち捨てられるままに在る場所、鳥たちの避ける場所、人間の居場所だった。

 

人の居場所に私は橋を越えて帰ってきた、私が柵をよじ登ろうとすると地面は赤茶色に滲んだ、ふと気付いた、霜は朝日と共に地面へと訪れるらしい。
真っ赤な巨大な目が、僅かばかりの涙をながしてゆくらしい、それで銀色の霜が地面へと着地する、私の祈りが地面へと還ってゆくように、しかし人間の土地へは…人間は横たわることしか出来ない、電気を帯びて気を失った私は地面へと還れずに目を覚ました。

 

仕方なく私は来た道を引き返した、この橋の下まで私は、膝下まで緑色になった状態で力無く歩いてきた、夜に長く居すぎたのだ、人は自分の居る時間の色に染まる、あの人が卵色だというのも、あの人が真昼にこそ存在しているからだ。
幾日か眠れば、また私も元に戻る、夕方の色に、私は戻るのだ、そして窓辺に立って思い起こすだろう。

 

芝生で覆われた土手一面に、霜が降りて光っている様子を。

そんな朝はただひたすらに青く、空気を吸うごとに自分もまた青く変化し、湖に街ごと沈んでしまった世界を構成する一部に成ることを。
この青い空気を自らの羽に内包しているらしい白鷺が、音も無く飛翔する、そのまままっすぐ、あの橋の下までゆくことを、私はもう知っているのだから。

 

 

 

 

 

ポエム【詩】

空気の澄んだ午後に、バスに乗っていて窓越しに外を見たら、落ち葉の舞い散るただ中に、妙に好みの男が立っていたので思わず私は凝視した。

 

意外なほど温度を感じる冬の日差しのせいか、マフラーを取りさって顔を上げた彼が、なんとこちらを見つめ返してきた、ほんの少しだけバスは動き、停留所に止まった。

 

彼はゆっくりとバスに乗ってきた…私は彼を見ないようにしたが、なんと彼は臆すること無く私の隣の座席に腰を下ろして、私を見ていた。


私は動揺しながら、さっきは見つめすぎてしまったと謝罪した、彼は上品な服装に身を包んでいた、私は自分の身なりというものを考えていなかったことに、見つめられて気付いたのだ。

 

しかし彼は言った、いいんだよこのままで、しかし彼はそれ以外特に言葉を発しなかった、私の話す言葉に対しても特に反応する様子も無かった、手の甲と甲とだけが触れ合うような状態が、はじめのうちこそこそばゆい快楽をもたらしたが、やがてつまらない、どこか窮屈なものとなった。

 

今言いたいのは…ちょっとの間ですら、あなたのような素敵な人と隣り合わせに座ることが出来て光栄だった、普段はお風呂に入らない感じの人とよく乗り合わせてしまうの、私はヒエラルキーについて考えていたの、あなたと会うたびに考えていたの、一億以上するあの家を見て思ったの、あなたの鮮やかな服を見てわかったの、それを落ち着き払って身に纏うあなたのことや、団地のカビた壁を思い出しながら考えたの…それでも、逆恨みほど物事をつまらなくさせる現象は無いって私は思うようになったの。

 

やっぱり私は残念でならない、この話をあなたにすることも無いのだから。

 

もし引き留めてくれるなら、あなたが何を考えているのか聞かせてね、景色の中であなたが浮かび上がるように鮮やかなのは、きっと音楽の中で育ったせい、唄の色が染みこんだせいだよ、だからあなたは美しい、あなたからの言葉は少ないので、私にわかるのはあなたの外見だけ、何故だろう、もう寒いせいかな…なんだか目が潤むし鼻も出る、だから顔を拭っているの、色鮮やかなあなたから目を背けているの。

 

私は立ち上がるために身をよじった、彼の視線を頬で受け止める、ああ、そうだな、私も彼の目を見るのは苦手だったんだ、なんか苦手だったんだ、美しいから苦手だったんだ、だから一人で、彼がどこかに視線を泳がせているときに見つめていたのだった、彼が何か言うなら私も彼の目を見なければならないのだ。

 

乗っているバスの窓越しに、私はあなたを見つけて凝視した、顔を上げたあなたはこちらを見つめ返してきた、そういう人とのことを一つの水晶に閉じ込めて何度でも愛でていたいの、香水にして冬の日の香りを閉じ込めてもいい。

 

だから私はあなたにしたかった話や理不尽さを、ひとつにまとめて書くことにするよ、それを誰かが読んだり演じたときにこそきっと、私たちの関係というものが完結すると思うの、人間関係を完結だなんて、確かに私は病的だね、あなたが…私の苦手なあなたが口を閉じるのも理解できるの、もしかしてあなたも私が、苦手なんじゃない?

 

前みたいな引き留め方はやめようね、お互いの面前に中指を立てることもやめようね、お互いの目的地へ着いたら、バスから降りて、そしたら今度は、手を振り合おうよ、それだけを約束にしよう、ね、私の苦手な、とても美しい人。

 

 

 

 

 

 

 

人形【詩】

小さな箱を用意してそれを周囲の世界に見立てる、そして自分を人形に置き換えた、部屋は明かりが灯っているが四隅には闇が息を潜めている。


私はたまらなくなって人形の四肢を、一本一本ちぎっていった、大きなハサミで右腕、左腕、左足、そして右足、下腹部、首、という風に順々に解体したのだった。
私は、一所に留まれない人間なのかも知れないと思った、常に強烈にどこかへ行きたいと願い、相反するようにその場に地霊となるまで留まりたいと念じているのだった。
だからこそこの作業はやらねばならない儀式だった、私が、本当に私自身であるにはこうするより他に方法は無いのだと私は思った。

 

すべての場所に留まるなんてこと、すべての場所を越えてゆきたいなどということ、それらを実行するにはこうするよりないのだ。

誰か一人きり、どこか一点の場所、たった一つの信念、そういったものが人間という存在を動かすのにはちょうど良い。
一人でなく二人、三人、いくつもの場所への恋、いくつもの願い、それらは一人の人間ではまかないきれない、一人の女には無理な話だ。

 

だから私にはわかるのだ、そういう女がいたとして、本当に彼女の望みを叶えるならば女の四肢を切断して、数多の場所へと移し、それぞれの場所を守るよう念じるより他にないと、私には理解できるのだ、古代の土人形が打ち割られて埋められているのはそういう理由からなのだと私は直感した。

 

きっとそれよりも以前の時代、生身の身体が供養されていただろう、そして昨今に至るまで、そこここに身体は埋まっているのだろう、土の中で目覚めたまま眠っているのだろう、右腕だけが、左足だけが、首だけが、念を発したまま未だに生きているのだろう。

 

私の苦しみを人形にうつした、と私は思ったが、きっと無駄である、カーテンを開けると夕暮れ、葉のすっかり落ちた木の黒い線が影絵の闇へと溶けてゆく。

 

苦しみは消えない、喜んだ分だけ苦しみは消えない、私はあなたを守れない。
あなたは私を知らないのだから、私とて守りようが無いのだ、私は誰も守れない、と私は思っているに過ぎない。

私は苦しみを人形にうつしたいと、願いを人形に託したいと、ただ思っているに過ぎない、私はあなたを私なりに守りたいと、それすら単なる願望なのだと気付かされる、夕暮れの瞬間。

 

 

 

 

 

月面球【詩】

ラブホテルのエレベーターの中

文字盤のあたりに月面の壁紙

 

どうやら

 

辿り着けない場所へ行くらしいねと笑い合う

誰がこんなことを

 

あなたの

髪の匂いがわかるほどそばへ

 

 

月はその実トンネルの向こう側の光なのだよ

あれは球体なのではなくて

空洞なのだよ

あれは次の世界への光

辿り着けない場所からの光

私の腹部からの光

  

私たち二人は雄雌の対となって月世界へ

エレベーターは上昇してゆく

 

 

私は問いかけを

覚えている

父母よ

月面球のこの世も

私にはいつまでも慣れぬ

だから景色はいつも色鮮やかなのだ

 

わかったのはただ一つだけ

どうやら月面は

私自身の腹部へと繋がっているらしい

女の腹が丸いのはそこに月面球が在るからということだけ
自分が外部だと思って歩みを早めた先が体内だったなんて

この世の仕組みというものはやはり理解を超えている

 

3階のどこかの空間にあと2時間ほど私たちの部屋となるらしい

あなたの髪をたった2時間

味わう部屋へ誘われてゆく

 

 

どうして生まれ出でて尚

体内の月面へと私は誘われるのだろうか

誰がこんなことを

 

辿り着けぬ月面を

二人で見つめた瞬間こそ一致していた

 

深く

腹の中へ

腹の中へ

月面へ

 

 

 

 

 

 

 

 

カラス【詩】

ゴンゴンと窓を叩く音がする、朝、今まさに出かけるというその瞬間に私を呼び止める声がする、どこからだ?
いつもと音の方角が異なる気がする、そう、いつも来るのだ、どこか紫がかった黒い翼、キョロキョロとあたりを覗うせわしない動作、ああ、あの子だと私は思う。

 

朝日を浴びて彼が庭先に立っている、彼のことは小さい頃から知っている、向こうも私を知っているとみた、私の顔を見るやいなや嬉しそうに声を上げている。

ブラインドをさっと引き上げると、一見びっくりしたふうで逃げてゆく、自分の姿が人間に丸見えになるのは好まないらしい、私はとあるカラスと仲良くしている。

去年この家屋に越してきて、そのときまだあの個体は雛鳥だった、母親カラスと一緒に周囲を探索している様子だった、田んぼの水を飲もうとして溺れかけたり、川に入ろうとしたり、人間の歩く道を普通に歩く様子を何度も見たものだ。
私や夫にも怖がらずに近寄っては、母親に注意されていた、もとい母親は私たち人間に警戒して声を発していた。

 

「あの子ガラス今日いたよ」

 

という会話が私たち人間の間でなされる、そして休日の朝には屋根をつつく音で目が覚める、ああ来ているのだなと思う。

屋根のアンテナから私の出て行くのを見ているときもある、そして時折窓をつついては声をあげ、私を呼ぶのだ、この「俺、あんたのこと知ってるよ!」というただそれだけのために関わろうとする姿勢が、私にはなんとも可愛い。

 

特に餌や何かをあげたりは一切していない、単に彼は昼間私の在不在を確かめにこの家に来るのだ。

私には、大きくなった子ガラスが最早どの個体かは目視だけでは見分けがつかない。

だが、カラスの声というものを少し聞き分けられるようになった、何回も繰り返し規則正しく鳴く場合何かを警戒している様子だ、グルグルと喉を震わせている場合は甘えている…のだが、一人でグルグル言っている場合も多々ある、カラスは自分が可愛いらしいと私は思った、猫に似ているらしい。

 

そして明確に判別できる声がある、私自身を呼んでいる元、子ガラスの声だ。
窓もつつくので結構大きい音がする、さらに2回から4回呼び鳴きする、大抵1階の庭先に居る、私とだるまさんが転んだごっこをしたいらしいのだ。

窓辺に近寄る私の姿は彼からすでに見えている、彼は安全な場所に居て私を見ている、私がブラインドを引き上げると喜び勇んで飛んでゆくのだ。
ただそれがために家へやってくるというのがなんとも可愛いのだ。

 

ちなみに、私とまったく同じ立場にあっても、カラスが気味悪く感じる人も居るだろう。
私は動物との距離感というものはこのくらいがちょうど良いと思っている、下手な上下関係など不要だ、親子であり恋人である…というような病んだ関係も美しいとは思わない、動物は動物の美しさを放っていて欲しいと私は思う。

 

友情でもなく恋愛でもなく、親子でもなく、憎しみも無く、ただ顔見知りということを楽しむカラスとの関係は、独特の幸福感をもたらしてくれる。

 

人間様のテリトリーに勝手に侵入し、ゴミをあさるという行為からカラスは不吉の象徴のように嫌われているが、カラスは天空から垂れ下がる黒い糸のように私には感じる。


その糸は天からの言葉を震動によって伝える妙なる仕掛けが施されている、カラスの声に耳を傾けるということは、天からの糸電話に耳を傾けるということだ。

 

他の鳥は主に水平に移動するが、カラスの飛び方は多分その黒いシルエットから、垂直移動しているように私には見えるのだ、不思議な飛び方をするなと思う。

 

カラスの声を私は聴いている、天からの黒い糸を私は、ブラインドの紐に置き換えてその時に引っ張るのだ。
その時カラスは、紛れもなく、笑っている。
私にはこのカラスの微笑みが、不吉ではなく、小さな星の煌めきのように、小さな吉兆に感じるのだ。

 

天から垂れ下がる黒く点在する糸たちよ、糸たちよ、どうか私に触れていてくれ、いつでも私を、人間だらけの狭い視界から解き放っておくれ。
私に言葉を教えておくれ、これからも私に語りかけておくれ、可愛い黒い鳥たち、ただの顔見知りの鳥たちよ。

私はお前達に救われているよ、黒く煌めく天の鳥、天からの糸よ。

 

 

【詩】腕時計は海に落ちたの

 

腕時計は海に落ちたの、シーツのさざ波、紺碧の水平線、ベッドの真横には夕焼けみたいなオレンジの灯り

 

掃除用具は床に慎ましく座している、私は起立状態、いつもならば小走りしながら数時間が過ぎる真昼間のホテル

 

さっきからもう10分、実は一部屋の丸半分が片付いてしまう膨大な時間、私は微動だにせず水平線を見ている、整えられた紺色のベッドが誰かの手でかき回される

 

やめて、とは思わない、海は荒れるものだから

つらい、とは思わない、私は確かに楽をしてるの、仕事は踊りだから、私は数時間踊ってお金をもらってるの

おかしい、とは思うの、だって踊って過ごすことそものもが…罪のような雰囲気

 

マスクを外して、頭を覆うヘアバンドも静かに取り去って素顔を見せたら、制服のポケットも見られるのね、そのうち私の身体の中まで誰かが指をつっこむのかしら

 

晴天、窓を開け放って向こう側に広がる丘陵のその先は見えない、日差しが湿った部屋を乾かしてゆく、私の汗は大気に舞い上がってどこまでゆけるの?

 

腕時計はきっと海に落ちたの、紺碧の水面に溶けてしまったのよ、あなたにとって東京ってきっとそういうところでしょう

 

あなたの時計を欲しがる人はここには居ないの、だってここは海、海底にはたくさんの腕時計が主人の呼ぶ声を待っている、そういう場所

 

浜辺が煌めいているのもそのせい、ここの砂はみんな、旅人の忘れていった腕時計の塵なのよ

 

ナイロンの襟がかゆいの、もう行っても良い?

裸になる筋合いはないのよ、私以外に踊る人もいないの

 

それじゃあ最後に心を研ぎ澄ませて、耳をそばだてていてね、あなたに、着衣のまま愛を込めてもう一度言うけど

 

腕時計は海に落ちてしまったのよ、ここであってここでない、紺碧の海に