お金と幸福と無名化の波

お店を回すのって誰が幸福になるかという比率の問題でもある、そうでしょ?店員の幸福と、お客の幸福、管理者の幸福と金銭が成り立つのは原材料×3、「3掛け」の幸福、三者三様の幸福。ねえ、そのお店は本当に幸福?本当に幸せ? 私はね、昨日まではあなたが、…

とある水槽食堂に於ける人間関係考察

「この店は『料理人』を置かない方針なんだって。全部アルバイトに任せるような仕組みにするらしいよ、いずれ、仕込みも包丁も使わないものを考えるんだってさ…」 出発前、新店舗で様々な創作料理を作ろうとしていた鶴の人が、いよいよ明日開店、という時にぽ…

悲しみと喜びの比率

三年くらい前だったか、まだ出会い系三昧をしていた頃に「悲しみと喜びの比率」が自分にそっくりな人と出会った、大柄な男で、恰幅の良い悲しみの人であった。似ていたのは悲しみと喜びの比率だけであったので、芸術や創作の話をしたりする事は無かったし、…

親族間の殺人

すごく具体的な悩みなのだが、両親が揃って死んでくれないと結構困る。家系的にも母方は短命、父方はやたらと長寿である、しかし長寿であることと精神の健全さは全く比例しない、父と私は現在離れて住んでいるのでなんとか物理、及び心理的距離を保っていら…

【創作文】鮭の文様

昼食にと、鮭を焼いてから握り飯を作りにかかった、握り飯そのものには決して手を触れてはならないと、教わった通りにサランラップ越しに米粒を整える、自分の手の皺に驚きつつも家事をする手を止めずに私は握り飯に力を込めた、力加減はこのくらいで良いは…

落伍者の救済思想

昔から誰かが負けるのが嫌いだった、ナイーブ過ぎるというのが私の元来の性格で、敢ていつも負けを選んでいた、なんの為に?集団の平和のためにである、世界の平和のためにである、人類の救済のためにである。誰かが自分よりも損をしそうならばその損を身代…

無敵の人=無痛の人の逆恨み感情と世の中の為になりたい欲求

※世の中の為に何かしたい気持ちをただ推敲無しでただ書き連ねているだけです。自分が無敵=無痛の人となり果てた時の事も書いています。 ・世の中に対して何か出来ないだろうか?凶悪犯の今後とかは実は案外どうでもよくて、潜在的に追い詰められた人をなん…

京都アニメーション放火事件② 個人の意見表明と悲しみについて(翌々日)

※京都アニメーション放火事件について感じる自分の意志を書いております。亡くなられた方のご冥福と、被害に遭われた方の回復を祈っております。 実際の事件について書いたことをネットに載せるということについては、毎回どうしようか悩みますが、やはり一…

京都アニメーション放火事件について① 超個人的感情と概念上での解決策(事件翌日にて)

意外なほど悲しいので飛行機を観に行った、京都アニメーション放火事件について、それそのものを書こうか書くまいか迷ったが、遠ざかる尾翼を見ていたら、今のうちにこの惨事について言葉にしておきたい気がした。 (注:事件の主観的な部分は前半に、倫理的…

鶴の刺繍、生命とはバグなのです。

鶴の刺繍 お針子地獄と呼ばれる亜空間に梅雨の間しばらく居ました、私は自分は針というものがひょっとしたら怖いのではないかと危惧していましたが、縫え縫え縫うのだと見えない影にせっつかれてこれを仕上げたのです。知っている情報と、未知の情報というも…

Don't forget to call me.

私を忘れないで、いえ、忘れないでなんて生易しいものじゃない、忘れないでどころじゃなくて常に立ち返って思い出してそして電話して話して。私を忘れないでというよりも私を忘れる事なかれ、私を忘れる男に呪いあれ、私を思い出す男に幸あれ。だから言葉と…

青鷺輪廻考

家のアンテナの上によく、青鷺が止まっている。この個体は「最近来ている個体」だ。以前、この辺りに訪れていた個体は大柄で鳴き声も大きく、私とM氏は愛情を持ってその個体を「灰色」と呼んでいた。大柄な「灰色」は一昨年の終わり頃までこの辺りを周遊していた…

政見放送と私

涼しいのは幸いだ、私は汗まみれになって手を動かしている、手と言うよりも腕と手の先だ、手先ばかり動かしていると腱鞘炎になる。今まで、人間が進化の過程で間違えたのは食道と気管とを分ける働きを喉頭蓋にのみに頼っていることだけだ、と思っていたのだ…

鶴の人について思う事

『あやさんが色々な事に挑戦しようとする姿は俺も大好きだよ。どんなものを作るか、よりも、いつも何かを作り出そうとしている気持ちをあやさんが持っていることが俺は凄く嬉しいよ。挑戦する事は、一人だけでは大変だよね。俺はあやさんの味方だし、いつも…

資本主義に於ける飢餓感思想は嘘(捏造)である

毎日沢山の本を仕事柄見るけれど、時代は変わったのだなと感じる。子供用の本の割合に「仕事」や「発達障害」の文字が異様に増えた、もう子供という存在と仕事と発達障害が融合したかのような感じだ、でも全く変化しないのは価値観を「受動的」に受け入れるという…

はじめの一歩が重すぎて

はさみ一本で何千冊、ひょっとするとそれ以上、本にフィルムをかけてきたわけだけれども、はさみ一本でこれだけ稼働出来るのだから針や糸やミシンは根源的にはそれ以上の稼働率を秘めているはず。なのに私ときたら型紙から布にチャコペンで型を写すのに一苦…

人類史に於ける手仕事について話がしたくなりました。

日本十進分類法によると芸術は第7類に該当します。概念としては第0類の哲学などから順に人類史の発展に伴って9類の文学まで進んで行くのです…等と教わったような気がしますが、0類に情報という項目があるため0類にはパソコン関係の図書も大量に置かれて…

Calling 呼ばれる感覚と暴力衝動について

顔も名前も知らない誰かだが、人を殴ったその人は今苦しいだろうか。顔も名前も知らない誰かだが、彼の行為は集団全体のほつれであって、不自然さがバグとなって表れた、その一端を彼が引き受けただけであって、本当は皆が責任を共有している。その人はほつ…

勘の導き…ミシンの見知らぬ思い出とこれからのこと

手が慣れてくるまでどのくらいかかるだろうか?例えば本のフィルム貼り…これはやっぱり人に習わないと難しい、最初の一冊だけは。最初の一冊の要領さえわかれば一時間に5冊、次の日には10冊くらいは出来るようになる、図書館時代に一時間で10冊こなせる…

靄のドレス(散文)

靄がかかっている、この靄はずっとずっと私と共にある、心地よい足枷。私ね、本当はもうこの靄から逃れたいの、でも駄目、私一人では靄無しには生きられない、靄は最高のドレスよ。だってこのドレスは何も出来ずに居るという「非行為」を表すの、それこそが実…

一人一人の稼働率を上げるには実在と本音が必要です。

聖母様、私の見たあらゆる模様や妙なる人形たちは既に居るのでしょうか?あの人形たちや人形ドレスの地点まで、私はそれを認識した瞬間にはそこまで泳ぎ着いているのでしょうか?今岸辺から、私は遠くを見ています、暗い暗い海の中を発光しながら泳いでいま…

私は人と話すのが苦手だ。

※人と話すのが苦手ということを書き殴っています。 『自分の、本当に好きな事をやってゆく中で生じる人間関係に於いて、諦めず、その人と信頼関係を築ける事を信じ、素直に相手と向き合う』『人との縁を大事にする』 私は人と話すのが苦手だ。 聞かれたくな…

歓喜と悲しみの糸 人形との出会いと身の回りの出来事

文章を書く時も絵を描くときもほとんど誰の事も考えずに、無視して書いている、だから私の直感のダム穴が引き込んだものはそのまま放出するし、そうした方が良い、ダムが決壊してしまうよりも見えた物事を何とかして整えた方が私には美しく感じられる。何か…

主客一体の美/洋裁と人形への勘

※洋裁への気持ちや美の基準について思考の推移を書き殴っています。 勘について何かやるときの私の勘というものは、言うなれば多次元ダム穴みたいなもので、傍目には果てしなく遠回りに見える場所にも勘が「引き込まれたら」すぐに到達地点に「落ちて」いるとい…

職業に於けるソフトとハード

小さい頃に裁縫道具を触ろうとすると怒られたものだ、理由は「危ないから」である。私も多くの都民と同じように核家族で育った、危ないものは火と刃物と他人であった、それは確かに半分は本当の事なのだけれど、その危ないものを自らの働きに出来たのならば…人…

ミシンという究極のマシン

ミシンを中学校以来はじめて触った、この場合はじめてという言葉も許容範囲だろう、何せ20年ぶりである…もうミシンというものの構造自体が別物になっているのではないかと危惧したが案外どうということもなかった、ミシンはミシンで今も昔も究極のマシンだ…

人形譚(散文)ある日唐突にお金という概念の価値の一切が消失しても、それでも行いたいという働きをしたい

因果律には不備があるのよ、あれは不完全な理論なの、だって閃きを感じる瞬間には内面的な知識を得ていたりするじゃない?不可思議な啓示を受けるとき、それを了承、決意したときに生じるあの「体感」の泉、あれは一体何なのかしらね?私は思うのよ、因果律で…

労働教

夜遅くの駅前、鞄を胸に引き寄せて世界を守る、「戦士の休息」、労働の後の安堵感こそが私の属する宗派の最大の恵みであり祈りだったわ。これでも私あの労働教拝金主義宗派の言うことをそれなりにきちんと聞いて、私なりに守ろうとしていたのよ、でも自分の始…

私の微笑みは嘘です

目覚めた時の体感が1000歳くらいだったら私はもう、庭先に寝転んで口に土を食んでそのまま死にます、虫が身体を喰い、鳥が骨をつつき、太陽が虹色に輝いたら橋を渡ってそこから手を振ります。さようならさようなら、でもその光景を見ているのもまた、私なの…

大掃除迷路の出口にて花びらの雨を望む

私が表したいのは本当の外気、聖女の死に、降るという花びらの雨。紆余曲折の大掃除迷路の出口に私は立っている、外側で静かな花びらの雨が降るのをじっと見ている。見えている風景の外側からこちらを見たら、私は、宝箱の中に居る玩具みたいに見えるだろう…