散文の自画像 

創作魂を持つ大熊という人間が、散文で日々の自画像を綴る文章ブログです。

歓喜と悲しみの糸 人形との出会いと身の回りの出来事

文章を書く時も絵を描くときもほとんど誰の事も考えずに、無視して書いている、だから私の直感のダム穴が引き込んだものはそのまま放出するし、そうした方が良い、ダムが決壊してしまうよりも見えた物事を何とかして整えた方が私には美しく感じられる。何か…

主客一体の美/洋裁と人形への勘

※洋裁への気持ちや美の基準について思考の推移を書き殴っています。 勘について何かやるときの私の勘というものは、言うなれば多次元ダム穴みたいなもので、傍目には果てしなく遠回りに見える場所にも勘が「引き込まれたら」すぐに到達地点に「落ちて」いるとい…

職業に於けるソフトとハード

小さい頃に裁縫道具を触ろうとすると怒られたものだ、理由は「危ないから」である。私も多くの都民と同じように核家族で育った、危ないものは火と刃物と他人であった、それは確かに半分は本当の事なのだけれど、その危ないものを自らの働きに出来たのならば…人…

ミシンという究極のマシン

ミシンを中学校以来はじめて触った、この場合はじめてという言葉も許容範囲だろう、何せ20年ぶりである…もうミシンというものの構造自体が別物になっているのではないかと危惧したが案外どうということもなかった、ミシンはミシンで今も昔も究極のマシンだ…

人形譚(散文)ある日唐突にお金という概念の価値の一切が消失しても、それでも行いたいという働きをしたい

因果律には不備があるのよ、あれは不完全な理論なの、だって閃きを感じる瞬間には内面的な知識を得ていたりするじゃない?不可思議な啓示を受けるとき、それを了承、決意したときに生じるあの「体感」の泉、あれは一体何なのかしらね?私は思うのよ、因果律で…

労働教

夜遅くの駅前、鞄を胸に引き寄せて世界を守る、「戦士の休息」、労働の後の安堵感こそが私の属する宗派の最大の恵みであり祈りだったわ。これでも私あの労働教拝金主義宗派の言うことをそれなりにきちんと聞いて、私なりに守ろうとしていたのよ、でも自分の始…

私の微笑みは嘘です

目覚めた時の体感が1000歳くらいだったら私はもう、庭先に寝転んで口に土を食んでそのまま死にます、虫が身体を喰い、鳥が骨をつつき、太陽が虹色に輝いたら橋を渡ってそこから手を振ります。さようならさようなら、でもその光景を見ているのもまた、私なの…

大掃除迷路の出口にて花びらの雨を望む

私が表したいのは本当の外気、聖女の死に、降るという花びらの雨。紆余曲折の大掃除迷路の出口に私は立っている、外側で静かな花びらの雨が降るのをじっと見ている。見えている風景の外側からこちらを見たら、私は、宝箱の中に居る玩具みたいに見えるだろう…

枯れきった初恋の花束の色

渋いベージュピンク、クルミ色、そういう淡いくすんだ色のペンキを塗りたいんだ今すぐ、新しい小部屋が出来たから、枯れきった初恋の花束の色を纏いたいんだ私は。東の部屋だから夕景の色を塗りたいんだ、終わってしまう色にこそ永遠が宿っている。その部屋…

くすんだ色の日々というのは幻想です。

私が誰かのことを知りたいからといって、一日をただ目で追うような知り方をしても、それは事象を知るという地点に於いての観測であって、その人の思想は見えてこない。注いでくれたコップの水を、ただそれをそのままに知るという場合、誰がどのような意図で…

私たちの神様

私は話すのが下手だ。思っていることの99%を心の何処かで処理しながら、会話ではひたすら同じ言葉を繰り返してしまう。鶴ちゃん、鶴ちゃん、愛してる!というのは最早ギャグで、身体に坂本龍馬って彫ろうとした君もやはりお馬鹿さんだし、二人がいざ対面…

キリスト教概念と仏教概念の融合

仏教思想とキリスト教概念は融合可能である、ということについて考えている。 ①仏教的個人視点「カルマが生じる」ミクロ視点→②キリスト的視点「カルマを含めて目視可能な他者=私」というミクロとマクロの両方を共有する視点→③キリスト教的根源同一の視点=神の…

家計簿と個のカルマ

※だらだらと書いています。 「あやちゃんに今年は何も買ってあげられない…」とM氏は漏らした、私が買って貰って嬉しいモノは家と家具であった、「別に要らないよ」と私は言った、「何かもらう事は幸福とは別次元だよ、家計簿をつけたり、この家の節約に参加する…

カルマ思想と魂同一論 自己と他者、善行と悪行の融合

融合するカルマ 魂同一論 本日は仏教国なのでカルマ思想に浸かっている…さて、では私が小学校時代に襲われたのはカルマだろうか?昔は新興宗教系仏教徒だったため、100%カルマのせいだと思っていた。特に創価学会でカルマがどうのこうのという話は特段出な…

祈りの作用

私は数多の魂のために祈ります、苦しみを御母に捧げます、喜びを御母に捧げます。私の苦しみが祈りにより昇華されますように。私が傷つけた人が、誰よりも先に癒やされますように…それはM氏かもしれない、鶴の人の奥方かもしれない、私が気にも留めないよう…

自分の苦しみ

私は立っている、玄関で内職の荷物を運んでくれる人を私は立って観ている。私も歩けるのだからバイトでもしようかな…その時になんとも言えない骨のずれを感じる、直立不動の状態がいけなかったのだ。座って居ても鼠径部のような場所がチクチク痛む、大丈夫、…

痛みと仕事のジレンマ

脚の痛みに関して人に説明をするのが今、一番、精神的に疲労を伴う作業である。説明、というのはこうして開示することではなくて、疑問に対する解き明かしをするということ。脚痛い感覚自体は私には元来あった…と言ってもそれは土踏まずについてであり、つま…

家に借金があった

家に借金があった。 家…この家という世帯、つまりM氏に借金があるのを昨日知った。M氏は自分の稼ぎややりくりを一切私には見せない男である。自分の物事は自分で管理したい気持ちが強く、何にどれくらい使うのかを誰かに開示するのが苦痛なのだと思う。そ…

血管迷走神経反射と認識の歪み

血管迷走神経反射…と言うらしい、一昨日起った精神的発作、要するに俗にいうただの「失神」や「自律神経」に該当するとの事である、かかりつけ医に聞いたのだ。風呂上がりに血流が一時的によくなり、そのまま血が全身を駆け巡って「脳みそに行き渡らない状態…

精神的発作と死について

昨日精神的な発作が起きた、とても驚いているし今もまだ何かふわふわした嫌な感じがあるが、だいぶ遠のいてはいる。さっきまで何をしていたのか唐突に忘却している妙な感じがまだ「居る」が、なんとかなっている。 自分という認識が曖昧になり、言語や事象と…

絶え間ない祈りと宗教観、ロザリオや数珠に含まれる時間感覚

絶え間ない祈りについてこれは祈りに関する「個人的な思想」である。目の前を通り過ぎる物事、人、大小のアクシデント、仕事に当てはめるならば内職で取りかかる目の前の本の一冊一冊、清掃時代だったら一部屋一部屋、接客時代の私がこの祈りを実践するとし…

私の神様

個人的体感のうちに生きているとどうしても団体の決まり事というものの中に神秘を見いだしにくくなる。祈りというものは関係性だと説かれても、私は自分の個人的な関係性のほうを重要視してしまう。 関係性の外側へ行ってしまう人間は果たして救われるのだろ…

ロザリオによる自分の供養

ロザリオの珠を手繰るとき私は束の間時空を超える その一粒に私は居て彼方を照らしている私の前方に光があるのは祈りが発せられているから 祈りの輪が一巡するとき、私は時間の輪を思い浮かべる時間の輪の外側に私は居て人生を見ている人生の全てを照らす光…

遍く世々の御母

遍く世々の御母よ 私はあなたを聖母マリアとは呼び難い。聖母マリアと呼ぶには、私はあまりにもあなたを知らなさすぎるしとりたて、カトリックの教義そのものに愛着があるわけでもない。それでも原始母的な存在に私は触れ、果たして、何処までが許されている…

絶え間ない糸の祈り

恵みがありますようにこれは私の心の内側の秘めたる祈り秘めたる確信遍く世々の御母に言葉にするのを許された私の真実 この祈りを歩きながら自分の心の内で唱えます、歩きながら、あるいは家事をしながら、仕事をしながら唱えます目に入る事象について唱える…

【詩】小さな祈りを自分に課すことにしたのです

小さな祈りを自分に課すことにしたのです 課しているのは恩寵です課しているのは恵みです課しているのは配慮ですそれを天を介して私は自分に課すことにしたのです 恵みがありますように だけどこの祈りは実際には口に出してはいけないのです言葉にした途端に…

【詩】四万十川

四万十川をまだ見たことがないあなたの青春も見たことがないそれでも水滴なのだ、私たちはいつだって水滴なのだと私は言ってあなたの嘴を撫でる 濁流の内から湧き起こりたった一点の、対の瞳を持った私よ静かに根を張りなさい心の大河に 大河から湧き起こり…

【詩】春の問答

私の骨は何処でしょう春の野に 完璧さの欠けた私は問いかけます 私の肉体は何処でしょう在るはずなのです世界の何処かに置き忘れているのです宇宙の何処かに 私の心身は何処でしょう在るはずなのです何処かに完全な心身 その在処を私は忘却し続けているので…

【詩】愛せない日々

私の周りには陽光が溢れ、小さな虫たちが花の蜜を吸いに地面から湧いてきている、ねえ見える?私はまだ時間の中に居る。この花の蜜は大丈夫、人間の色眼鏡で作られた能なしではないから。狂った生物が作られているのは、狂った生物を食べているから、F1種を…

【詩】ああこれが私の死

ああこれが私の死死というものに私はすっぽりと収まる棺はこの世で一番の居場所 足が鈍い呻きを出す度私は言うああこれが私の痛み他ならぬ私の痛みにすっぽりと収まっている私の痛みは私の居場所死への道を私は歩いている 坊やよく聞きなさいまだ道は半分今…