a.o独白ブログ

詩や創作文章を公開しています、時に汚濁あり時に18禁あり、綺麗な場所ではございません、あしからず。

内緒の話

 

これは内緒の話なのだけれど、この職場はね、駅のすぐ向こう側、通りを二三本跨げばあの人が居るから選んだのよ。
私が埋め立ての海水臭い街からこっちに越してきたとき、どこに勤めに出ようか、どの街に行こうか迷ったの。
家からバス停までの距離、バス停から、それぞれの街への距離や風景、街の匂い、あの人の匂い。
あの人の居る街に行こうと思ったの、朝の光の中、あの人の居る街に行く、それってとっても素敵なことだと思ったの、これは内緒の話ね。

 

仕事って何なのかしらね、菌糸を伸ばして周囲を探って、自分の…自分と相手の…相手のその相手の…そうやって無限に広がってゆく誰かと一緒に、毎日を食べ進める事のような気がするわ。
そこにいつも誰かが居るのよ、私は気付かなかったの、一緒に苗床を作る事がこんなにも自分を元気づけるものだったなんて、今まで知らなかったの。
どんな原始的な命ですら、日々の仕事と糧があるのね、それを仕事と名付けたのは人間だけれど、これは永遠に続く命の連鎖なのよ。

 

ホテルの窓から、海が見えたの、青い青い海は真昼には冬の空と完全に同化するのよ、私の仕事はその部屋を綺麗にすること。
人間の私は、駅が完成する頃には建物を覆う青いシートが剥がされ、それが海ではないと知る、そしてゴミを部屋から出し、洗浄する。
同様に、私がシャーレに入ったたった一株の菌類だったとしても、それでも私はきっと自分の仕事をしたでしょうね。
目の前の有機物を食べ尽くし、何処までも菌糸を伸ばして場を造り替えたでしょうね。
それが仕事というもので、そこには実は何の差も無いのよ。

 

そして恋をして、秘めながら見つめ続け、目には見えない合図を私は出し続ける。
呼応の有無はその実、自分では関知出来ないものなのよ、自分から広がった感覚器が果たして何処まで広がっているのかを本当に自覚出来る個体なんて無いから。
相互的に意識的に前へ進むことを、仕事と名付けたのね、仕事をしながら私は窓の外に目をやり、思うのよ。
あの人がいる街はどうしてこんなに暖かいのだろうって。

 

わかったことは、入り口に生えたモリムラマンネングサは永遠に枯れないって事。
それなのにここではない何処かのバスルームでは誰かが縊死していたの、植物は枯れないのに、人は枯れてしまうのね。
あの老婆がどんな半生を過ごしたのかはついに誰も知らない。
コンドームのゴミは皆が皆、親の目を盗んでセックスしている中学生みたいにベッドの下に捨てていくのね。
幼いわ、いい歳した男にそんなことされたら百年の恋も冷めちゃう、と私は言いながら女ボスと笑い合い、有機物を部屋から掃き出してゆく。
掃除機や洗剤で部屋を造り替える、それがどうしてこんなにも私を元気づけるのか、私には今までわからなかったのよ。

 

私は菌糸を伸ばしてただ周囲を探り、場を造り替え、他の菌株と協力して何かを推し進めている。
私は窓からあの人を見つめている、私は身体に痛みを感じている、早く手術をして欲しいと願っている、それでも。
個体や命や主観というものには、自分と他者との間には、私と植物の間にも、私と女ボスとの間にも、私と黙秘主義の老婆の間にも、私とシャーレの中に宿る一株の菌の間にも、何一つ差は無いのね。
何も差は無いのね。

 

多分、あの人はこういう事をはじめから知っていたのよ。
はじめから知っていたのよ、どんな命も、ただ1日を生きて、進んで、無自覚なラブソングを歌って、枯れて行くって事を。
あの人はただそれを知ってて、そして覚悟しているのね、だから強いのね、だからこんなにも惹かれるのね。

 

これは内緒の話、私は毎日、あの人の居る街へ行くのが楽しかった。
女ボスたちと話すのが楽しかった、手を動かして部屋を造り替えるのが楽しかった。
完成した新しい駅、新しいリネン、新しい人、ほらね、もう次の一日が来たのよ。
私、本当に仕事が楽しかったのよ、これは内緒の話、泣きそうだなんてのは内緒の話。

 

 

 

 

 

 

 

痛みと世の中(雑記)

 

ここ数ヶ月で寝返りが完全に打てなくなった、以前は打てたので寝返りを打つと身体がどれほど楽かを知っている、回復する見込みはない。
夜間、下肢だけは自動的に動いているのだがそれすら脱臼系の痛みが生じ、その痛みで何度も目が覚めている。
朝、やや床ずれ状態で起き上がるのだがその時にも骨が痛んで起きるのを諦めそうになる、が、寝ていること自体が苦痛なので早朝には活動するようにしている。
特に夜間は、寝返りが打てない事による脊椎の圧迫により(私の見立てである)肋骨が痛む時が頻繁にあり、その場合は横になることが一切出来ないので座して仮眠を取るより他無い。
階段を上がるときの蹴り上げる動作で尻の骨が痛み、私は言う「階段辛い」…しかし周囲には、当たり前だが単に「階段ってダルい」と言っているようにしか聞こえないだろう。

 

大腿骨の形自体はまだ「綺麗」なので、その綺麗な大腿骨を人工股関節にすげ替える許可が下りない、多分何処へ行っても手術はしてもらえないだろう、その程度の痛みだと思う人も居るだろう。
医療に於ける「患者が日常生活を送れるのだったら骨を温存する」指針、その考え自体は美しいと思う、自分の身体をフル活用して最後まで生き抜く…そんな理想が見て取れる。
しかし「患者が社会生活を送る」という視野は医療業界には無い、私は日常生活は送れるが、立ち仕事、座り仕事、そして身体を動かす仕事ももう無理だ、もっと酷い状態の人だって働いているんだという意見もあるだろう、痛み止めを飲んで頑張ればいいという思想の人もいるかもしれない。
ただ、骨の痛みで夜寝れず、階段を上がれないというのは…じきに生命が終わると解っている老齢の人間ならともかく、まだ数十年生きるであろう30代でこれは普通ではないと私は思う、そして私の状態に適応する痛み止めというのは最早神経ブロックとかそのあたりの対処法である。
ちなみに痛み止めというのは危険だと私は思う、胸部はともかく、股関節の場合は骨の摩耗を知る目安にもなるので安易に痛み止めの骨注射などを打つべきではないと思っている。

 

痛み止めの注射を打って働いている人くらい居るだろう、整体や針や按摩に通って必死で働いている人も居るだろう。
夜寝返りが一切打てないと笑って言う人くらい居るだろう、私とて周囲の人間に対しては笑って言う、寝返りが打てなくて朝辛いんだよね~と笑って言う。
たまにこの種の身体疾患に対して、精神疾患精神障害の方が理解されずに辛いとか、何やら「辛さを比較」してくる輩が居るのだが本当に苛々する。
私からすれば、たとえ睡眠時間が短かろうが魘されようが寝返りを打てている奴らは全員健康体である、寝言は寝て言えと言いたい。

 

さて、私には遂にやれる仕事が残り1~2択、くらいになってきた。
視野が狭すぎるだろうか?

 

ただ、私の頭脳や身体能力でこなせる仕事(客観)、私が楽しいと思える仕事(主観)、それらを満足させる仕事となると本当に内職くらいしかない。
私は頭が悪いが、だからといって発達障害の診断を受けて障害者手帳を取得して障害者雇用で働くとかそういう阿呆らしい事は考えていない。
その手の障害というのは、数十年経てば赤面するほどの、一種独特な現代日本に於けるブーム、半ば宗教の思想ビジネスだと思っている、もっと言ってしまえば製薬会社の思惑だと思っている。
確かに脳の働きに於いて信じられないほどの個人差はあるだろう、そのこと自体は当たり前なのだ、そして昨今誰もが心身健康で見目麗しい人間になりたいと焦がれている、何故こうも焦がれるのかと言うと、単に義務教育時代に「(あくまで客観的視点から見て)優秀であれ」という風に洗脳され、さらにバブルが弾け、自己責任論が掲げられたからに過ぎない。
優秀であれ、頑健であれ、周囲(お国)のためになる人間であれ…これは全て客観的な意味での「優秀さ」であり、全く同時に、その教育を施す側(国)の主観的な押しつけでもある。

 

親の理想になりたい、職場で必要とされたい、普通(理想)の人間になりたいとこうも誰も彼もが切望している現代日本は本当に狂っていると私は思っている。
目の前の仕事をこなすのが困難であったり、日常生活を送るのが困難である…というのは、ただただその事実がそこに横たわっているだけであって、本来そこに理由付けなど不要なのである、自分は馬鹿だった、自分は身体が動かない、ただそれだけで済む話なのである…仕事の種類が日本は少ないだけなのである、手工業が外国へ渡ってしまったため、本来それをすべき人間たちが世にあぶれてしまい、出来損ないのように言われ、それに対して身を守るべく病名を口ずさんでいるだけなのだと私には感じる。

 

客観的に見た自分の哀れさが、主観的楽しさや真実をも浸食しているというのが現代の歪みだろうと私は思う。
主観的楽しさや真実というものは本来自分にしか解らないものである。

 

よって実は私は、世の中をあまり恨んではいない。
私はどの世代だろうが、いつの時代だろうが、どんな状況で生まれても大抵駄目な奴だったろうし、足手まといが自分の主観的楽しみの領域を超えた仕事に手を出すことは周囲の為にはならない、迷惑だし互いに辛いだけだろう、社会の為にはならないと結構本気で思っているからである。
障害者雇用とかも色んな意味で止めた方が良いと思っている。

 

以前、寝たきりの重度障害者が殺傷された事件があったが…私は今になってとてもあの事件に心を動かされている、それは自分が寝たきりになったらという気持ちが渦巻いて居るからだ。

 

客観的に見て、価値のある人間は少ない。
偉大な発明家や技術の開発者、伝統技工の継承者…人間が見てほとんど誰もが「価値がある」と判断を下す人材のほうが少ないだろう、つまり価値のある人間なんてこの世にはほんの一握りしか居ないのだ、生産性のある人間や仕事なんてこの世にほんの一握りしかないのだ、後は無駄である、無駄でこの世は回っているのである。
だから重度障害者が生産性が無いとか、意思疎通出来ないから価値がないと判断した場合、大抵の人間が殺処分されなければいけない事になるのだ、何故なら人間同士の邂逅なんてものはそもそも、滅多に生じないからである、人間は他人が何を考えているのかなどわからない生き物だからである。

 

しかし主観的な視点で考えると私はこの事件を起こした人物に反論出来なくなる。
重度障害者というのは寝たきりで生活している人間のことである、何一つ自分では作動不可能な状況に置かれている人間のことである。
以前の私なら「それでも本人の主観では生きる事に対し何かの確信が生じている可能性もあるじゃないか」と思っただろう。
しかし、寝返りが一切打てず、横になることも叶わない日々を過ごすうちにこう思うようになった。
「こんなのは人間の生活ではない」
勿論私はまだ歩けるし、自分の主観的楽しみもある、彼等と「比べ」たら天国を生きているようなものだ、しかし身体を動かせない苦しみを体感するという事は本当に独特で、これが生まれたときからもっと酷い状態だったらと思うと、心の何処かで「殺してくれ」と囁く声がするのだ。

 

人間は不思議なもので、列を横入りしてきた奴には強烈な殺意を抱く割に、全身全霊で自分を殺しにかかってくる相手には何故か怒りも恨みも湧かないものである。
軽い意識でこちらの生が脅かされる事への怒りはあれど、何かの思想や覚悟が垣間見えたとき、案外相手の暴力を許してしまう生き物であると私は思っている。
だから戦争はなくならないと私は思っている。

 

客観的に見たら私は来月からただの無職になる、それは誰にも迷惑はかけてはいない。
ただ痛みは主観の部分をどんどん削ってゆく、そしてまともに仕事を出来ないということや、立ったり歩いたりしにくい状態のまま数十年過ごすということへの恐怖が、どんどん自分を侵食してきている。
…あと30年以上、本当に何の仕事(バイト)も出来ないのだろうか…
そう思うと冷や汗が出るのだ、だったら死んでもいいとは言わないが、これで自分の主観的楽しみも身体的に動作が不可能になったりしたら…確かに、誰かに殺してほしいと願うかも知れない、自分を突き刺す刃を受け入れるだろうと私は思うのだ。

 

痒みやその他の理由無き理由から、眠れない日々は幼少期からずいぶんと過ごしてきたが、痛みで横にすらなれない日々は人生初である、終わらない夜のただ中に居るようだ。
ゴロゴロ出来るということに今、私は憧れているが、残念ながらそれが叶うのは来世だろう。

 

 

 

ああ肋間神経痛

 


夜、薄暗がりの視界、その片隅に青白い光が見えた、それはだんだんこちらに近づいてきて私の胸にのしかかった。
私は胸にひびが入るのをまざまざと感じ、身を動かそうにも骨が軋んで動かず、やっとの事で起き上がると左胸を押え呻いた。
呻き声を出したら出したで左胸はさらに軋んだ、ああ、死ぬのか、息が吸えない、ああ、私死ぬのか、真夜中に起きて制作するとか無理が祟ったのだろうか、正直それくらいで四苦八苦してるだなんてこの身体はマジでポンコツだ、全然使えない…はたまた家庭をぶっ壊した事への罪悪感が文字通り我が胸を締め付け、私は呼吸困難で死ぬのだろうか、何はともあれ私は、死ぬのだろうか?

 

私は布団から這い出て、まさに這う這うの体で廊下と階段の踊り場に座った、ここからは一階と二階が見える、ただそれだけの場所に私は座して、辛うじて三次元に居るらしいのを確認し、自らを落ち着けた。
息を吸うと左胸の全てが悲鳴をあげたが、かといって息を吸わないわけにもいかないので上を向いて浅くハアハアやっていた。
落ち着け、息ってのはその実毛穴から吸ったり吐いたりしているものだ、普段そんなにゼイゼイ懸命に呼吸なんてしてないだろ、静かに静かにやればいいんだ。
あー、まあいいや、このまま死んでもまあいいや、憧れの人に絵も見せたし…無念、やっぱ無念、だってまだ500分の1くらいしか絵に投影出来てないよ、私の感じた美しさを全然表現出来てない、あの人が私の事を忘れられないくらいの美しい絵を描きたい、でもまあいいか死んでも、意識が死んで途絶えるとも思えないから、あの人ともまたどっかで会うだろう、やっぱ死ぬのだろうか。

 

…という走馬灯を見つつ、これは以前にも体験したことがあるぞと私は思った、肋間神経痛である。
この痛みについて説明するとしたら、酷い虫歯の痛みというのが適切だろう、歯医者で神経に触れられた事のある人間なら解るだろうが思わず悲鳴が上がるほどの痛みである、しかし悲鳴をあげたらもっと痛むので声も出せない。
歩く度にズキンズキンと神経そのものが叫ぶような電流めいた痛みが、左胸全体に広がっていると考えてもらえばいい。
骨折したか、胸にナイフでも突き立てられたら同じように痛いんじゃないかと思う。

 

この痛みが生じるのは何故か夜明け前の時間帯だ、以前に悩まされた時もそうだった、眠っていても目が覚めるほどの痛みである、これが絶え間なく数時間続く。
ちなみに、寝るという姿勢が取れないので(心臓に血流が行き、余計痛くなる)座ったままで居るしかない。
深呼吸やくしゃみなどしようものなら折れた肋骨がついに内臓に突き刺さるのではないか…というほどの痛みが生じるので全ての身体機能に於ける【動】の部分を【静】に切り替える必要がある、何はともあれ自分自身を安心させる事だけがこの種の痛みに対抗する術である、本当に死ぬかもとパニックを起こしかけるのだが、パニックを起こさない覚悟みたいなものが必要である、つまり「まあ死んでもいいや」という諦めこそが、生き残る術なのである。
そのまま丸3時間が経過した、私はまだ口をパクパクさせて胸を押えていた、痛み止めの湿布を貼ったがこんなものは安っぽい疑似魔術でしかない。

 

この痛みに関しては、中高年の女性の場合本当に肋骨が折れている可能性もあるため、酒やタバコ等を一切やらない場合、心筋梗塞などを疑うよりもまず診てもらうのは整形外科が一番妥当だろうと私は考える。
脂ぎった男や老人の場合は躊躇うことなく救急車を呼んだ方が、救急隊員や医者に嫌な顔をされようと、大事には至らないように思う。
あと中高年の女性、というのは押し並べて言うと30歳以上の女ということだ、いくら外見が20代でも骨自体は脆く折れている場合もある、仮に癌だったとしても胸部レントゲンで判明するのでまずは整形外科、というのが私の見立てである。
…が、私は以前これを放置し、内科医からの薬とストレッチだけで治したため、今回痛みが引かなければ整形外科と思っているに過ぎない。

 

痛みは左胸部を覆う肋骨全体を貫通するかのように生じている、冗談みたいな痛さだ、放っておけば一昼夜続くのではなかろうか。
階段を降りる、降りるだけで胸部が軋み、痛みが走り、呻き声を上げ、その呻き声にさらなる痛みが追加される、もう痛みのオンパレードである、何かの罰である。
いっそ笑いたいが笑ったら本当にあの世に行ってしまいそうな勢いの痛さだ、これを既に3時間以上も体感しているのでさすがの私もいい加減疲れている、参っている、寝てしまいたい、だが横にはなれないのだ。

 

小さく小分けされたチキンラーメンがあったな…腹、減ったな…よし、最後の晩餐に手のひらサイズのチキンラーメンを食べよう。
私はお湯の沸くのを待った、ケトルを持つ手は右側だったのにそれでも左胸が痛んで危うく自分の足を湯戻しする所だった。
そして静かに、コップ一杯の小さな乾麺を明け方に啜った、何だか食道が細くなっている気がした、麺が妙に太く、いつもならものの数秒で食べ終えるほどの小さな麺を10分以上もかけて食べ、幾度もろ過されたであろう甘みの一切ない単純な食塩と人工調味料のお湯を飲んだ、ああ、暖かい、チキンラーメンていいなあ。

 

…と思っていたら何と、唐突に胸の痛みは消え去った。

 

チキンラーメンで肋間神経痛が治った…治ったというよりも対処療法で沈静化しただけだ、この種の痛みは往々にして姿勢のズレと骨の弱さと精神面からきているので、闇雲に「お湯を飲めば痛みが消える」と縋る思いでお湯を飲んでも、多分痛いままで、最悪痛みの中で湯を吐き戻す結果になりかねない。
せいぜい湯飲み一杯くらいなら飲むのもよかろうとは思うが、一切期待しないということこそが神経痛に効く気がした。
カップ麺というふざけた食品の醸し出す、遊び、おやつ、という幼児めいた匂い。
食道などの器官を広げるようにゆっくりと麺を啜った事も功を奏したのかもしれない、それが結果的に、何かの作用で縮こまっていた肋骨をも広げ、神経を圧迫する作用を弱め、普段通りの骨格に戻したのかも知れない。

 

さて調子に乗った私は、朝昼晩と飲むサプリメントを飲んだ…これがまずかった…。
身体の器官はまだ痛みに耐えたままで、我が食道はインスタントラーメンの細さは受け付けるが錠剤は無理だ、と真っ向から撥ね付けてきた、本当に我が儘だ。
飲んでいる最中にサプリメントは私の食道に詰まり、しかしまだ胸の痛みが完全には消えていないような気がして、吐くに吐けず真っ青になった。
一方でカップ麺以上の太さや大きさの固形物はまだ喉に通らないため、ご飯を飲み込んでも多分本当に詰まって窒息するだろうと予測できた。
結局小一時間目を白黒させながらM氏の手作りヨーグルトを少しずつ押し込んで何とかなった…が、やはり神経痛が出ている間は冷えたものは禁物のような気がした。

 

この間ずっと私は身体を縮めていたが…動かないで居るということのなんたる苦痛よ。
身体が動かなくなると、痛いから余計動かさないで守る姿勢を取りがちだが、多分逆効果だろう、寝たきりとか凄まじい拷問だろう。
身体の痛い人間ほど動いたり楽しんだりどんな小さな事でもいいので快楽を追求した方が良いのだ、カップ麺でも何でもいい。
私が今回一番キツかったのは、サプリメントを吐くに吐けなかった事だ、これは吐いているとM氏から心配されるのが嫌で出来なかった部分もある、私を扶養してくれているM氏は良い奴だ、良い奴だからこそこの感情的線引きが出来ないのである。
心配という感情は本当に要らないと私は思っている。
生き物は吐きたい時に吐いて、死ぬべき時に死ぬのだ、そのことに対する感情的な悲鳴を周囲はあげる必要などないのだ、周囲の人間は各自自分の快楽を追求した方がよほど楽なのだと思う。

 

少し話がズレるが私はこのような大変な状態の人間に対し、同情は不要だと思っている。
大変な状況にある人に声をかけてあげるのは善い事だと思うし、冷静に救急車を呼んだりする「行為」はこちらも非常に助かるので私もそうしたい。
だが、大変な状況にある人と「感情的に一緒に悩む」事については全く無意味だと思っている。
そして大変な状況にある人本人も、それについてあれこれ「悩んだり」するのは意味がないと思っている。
どうしようかわからずに唸るよりも、何か行動を起こして自分で結論を下したり、楽しんだりしたほうがきっと周囲のためになると信じている。
一緒に居て背中を押してあげると言う言葉は美徳のように語られるが、言葉通りに寄り添う事を実行するのは、その実両者共々足止めをくっているに過ぎない、それでは誰のためにもならないと私は思う。
だから、どんなに親しい間柄の人間が辛くても、それぞれに楽しい事に対し邁進したほうが、本当の意味で、互いの背中を押すことになると考えている。

 

肋間神経痛が起こる度に私は思うのだ、誰が突然吐血しようと、誰が死のうと、自分が死のうと、それに対して騒ぎ立ててはならないと自戒し、気持ちを静かにさせ、カップ麺を啜るべきであると私は思うのだ、たとえ死の淵にあってもそうすべきだと私は思うのだ。
最後に要約しよう、肋間神経痛の治し方は日々のストレッチ、肋間神経痛の対処方法はカップ麺をゆっくりと啜ること、ということで私はチキンラーメンのミニサイズを肋間神経痛の常備薬としていつも戸棚に備蓄することにした次第である。

 

 

 

 

 

【仕事について】目の前に確かに在る仕事(頭と身体の弱い人間の働き方)

 


今月末でベッドメイクの仕事を辞めることにした、何故ならば、今月末で私の雇い先である清掃派遣業者がこのホテル…もとい、この地域から一気に撤退するからである。
持病の臼蓋形成不全が悪化したように感じ始めていたので、撤退と共にそのまま自然に解雇という形を選択した、次の派遣先に内定が決まっていたが辞退した、寒くなってきて骨が痛むようになったと伝える。
「ああそれはそちらの派遣会社からも少し聞いていましたよ、骨が弱いんですってね、了解しました」と、次の派遣先の女社長は実にあっさりと私の内定辞退を承諾した、弱い人間は切りたいという感触があった、生き物ならば弱者を避けるのは当たり前である。

 

私は、自分で言うのもなんだがベッドメイクの現場ではよく出来る部類の人間だった。
ここには2年居た、少なくとも自分に出来る最大限の働きをしたと思っていたし、はっきり言って現場の女ボスたちには非常に可愛がられていた、体育会系のノリが意外にも性に合っていたのである。
【目の前に確かに在る】ものを完成させてゆく、という仕事自体がとても楽しかったのでミスもほとんどしなかったし手先を動かすのが得意なので必然的に仕事も早かった。
だが、雇い先はそうは思っていなかったらしい、本来であれば若い私はもっと出勤日数を増やせるはずであった、しかし骨が悪いらしく週3~4しか働けない、そして現場での評価が妙に良いのでむやみに解雇も出来ない…みたいな空気を感じた、雇い先が私をどう見ていたかの空気みたいなものを私はようやく悟ったのである、我ながら理解が遅すぎる。

 

数字の概念を理解出来ない私にとって、やれる仕事は本当に少ない。
立ち仕事は現在の私では骨が痛んで辛すぎる、以前は図書館に通算8年ほど居たが今はもう出来ないだろう、図書館は貸し出し冊数以上の数学概念は不要であるので私にも長く勤める事が出来たのだ、しかしもっと動きたいと身体が言っているようだったので、引っ越しと共に清掃業務をやることにした。
ベッドメイクは楽しい…動き回って手先を動かす仕事が性に合っていたのだ、意外に思うかもしれないが身体を適度に動かすということが身体に痛みを感じやすい人間には楽なのである、同じ姿勢を続ける修行は小学校から開始されるが、苦行でしかないのだ。
よって座り仕事も、動き回る仕事よりもその実、身体が痛むのである。
それ以前に…事務処理仕事は私には理解出来ない物事ばかりでミスが多発した過去があり、とてもじゃないが座り仕事には手を出せない。(年齢、実技共に当然採用もされないので安心だ)

 

私の父はレジ打ちやサービス業全般を馬鹿にしていた。
「【仮に】という数学概念を理解出来ない奴らは【目の前に確かに在る】ということにしか頭が至らないんだよ、だから時間制で雇われているんだ、健常者とはいえ縄文人くらいで止まってるんだよ頭が…ああはなるなよ」
IQという物自体が今ではあまりあてにならない空気もあるが、父はこの分野に長けており、この種のテストをいとも簡単にこなす。
通常よりも高い数値を出す父は、確かに物事の概念はすぐに理解出来る、新しい仕事もすぐに覚える、世の中馬鹿ばっかりだという父を私は恐れていた、その世の中には私も含まれていたからである。

 

ダーウィンは進化論を提唱したし、昨今それに根本的な異議を唱える人間は少ない、皆心の何処かで思っているのだ、私の父とて思っていたのだ。
自分の惹かれる異性との間に生まれた子は自分よりも当然進化しているはずだと、皆何処かで盲信しているのだ。
自分が簡単に理解出来る事を、根本的に理解不能な子供が生じるわけがないと、皆何処かで確信しているのだ。
もし自分よりも子供が、健常者なのに馬鹿だった場合は悲劇である、そして馬鹿という生き物は基本的に三半規管が弱く、いい歳になってもすぐに吐くので体力的にも脆弱である、甘えるなと叫び疲れた親は遂に感情のやり場が無くなるのだ、自分の信じていたものに裏切られた気持ちだけが渦を巻き、手をあげるようになる。

 

そこで活躍するのが巷で大人気の…病気という概念である。
病気は全てを吸い取ってくれる、もっとも、この場合は親の感情的なやるせなさを吸収するのである。
いつか病気という概念自体が、人間の感情を吸い過ぎてブラックホール化するのではないか、宗教化するのではないかと思っている。(私の臼蓋形成不全だってただの骨の痛む人でいいはずだ、だが、病名が在るということが痛みが在るということを他者に理解させるのに一役買っているのを私自身も、実感しているのである、よってこの病名宗教化現象には私自身も堂々と加担しているのである。)

 

本当に生き物が進化の系譜を辿っているはずならば、私の脳みそが縄文人で止まっているわけはないのである、親と稀に会って話すと実感するのだが…残念ながら私は明らかに親よりも退化している、親の見ている概念の【仮の】景色は、親には存在が確かなのに私には見えもしないのである。
進化というよりも適応と言った方が良いだろうか…生物がその場所や集団に適応するように生じるはずなら、私は頑健で頭も良かったはずである。

 

10代の私はレジ係をやっている、レジにお釣りが表示される、そのお釣りの数字の模様と、硬貨とが合致しない。
数字という模様と、硬貨との間には見えない川が流れており、私の手はその流れに翻弄され数秒間宙を彷徨う。
レジ打ちすら満足に出来ない私を父は、苦々しい面持ちで見据えている。
進化論という現代の宗教さえ無ければ、父から見て私が至らなくても、私がそのことで極度に感情的に殴られるような事は頻発しなかったろう。
少なくとも悲劇的な人間関係にはならなかったと予想する、よってダーウィンを私は恨んでいる、大いに逆恨みしている…というのは冗談でもあり半ば本気である。

 

とにかく手先が使いたい、身体を動かしたい、【目の前に確かに在る】ものを生産したい。
ああ無情、これぞ器用貧乏が器用貧乏たる由縁である、そこに数字の概念が完全にすっぽりと欠けているからである。
ただの器用は数字の概念を理解しないので、器用には貧乏が付くのである、それは今しか見えていないからである、よって私の出来る仕事はもう内職しか残されていないのである、勿論向いているだろう、器用さだけが取り柄ならばまさに適職だろう、鬼に金棒、何も残念に思う必要は無いのだ。

 

楽しい職場の記憶なんて過去のものだ、今ではないのだ、そして未来を計算する事の出来ない人間は現在だけ見ていればよいのだ。
何を寂しがる、何を悲しがる?
身体の弱い人間が雇用されるという形式の群れの中に居たって、身体が弱いと口にした途端、人格破綻しているように見られるだけなんだよ、賃金以外にも他者に優しさを求めているだけの人間だと思われるだけなんだ。
何を隠そう私自身が、仕事がこなせないなら帰って寝ていろという思考の持ち主なのだ、私は身体が痛む中一生懸命働いているんだから、お前の分までお情けで働く義理はねえぞと心底思っている人間なのだ。
つまり私のような考えの人間が居るから、職場というのは縄文時代から遙かに時間が流れたのにもかかわらず、概して体育会系が保たれ、強い者の根性で歯車が回されるのである、無理をしてでも強い者として糧を生じさせるのである。
弱い者よりも力の強い者が一員になったほうが良いという考えがまかり通るのである、だから私は辞めてゆくのである、弱いから辞めてゆくのである。
弱くて頭の良い奴なら家で株を、身体も頭も弱く手先しか強い部分が無いという輩は内職をしていろと心底思っているので、その通りに行動するのである。

 

内職の給金を調べる、発展途上国ならばまあまあの給料かもしれない、全額貯金すればいいのかもしれない、貯金とは一体何なのかいつまでも解らないが模様の織られた布を貯めるような気持ちでいればいいのかもしれないと自分をなだめる。
この給料の割に、この手の職業でミスをした場合誰もかばってはくれない、ボスはいないのだ、雇われ先は無いのだ、市役所に商工登録した私一人しか居ないのだ。
金がもっと欲しいだなんて寝ぼけたことを、金は数字である、数字が不確かなものなら、それは幻である。
自分からは可視化できない霊的世界を欲しいだなんて、実体の無いものを手にしたいだなんて、何を寝ぼけたことをと私は自分自身に言って聞かせるのである。

 

概念の世界を泳げるようになれば金を稼ぐのは簡単である。
世の中はもう概念の世界で動いているのだ、働く事で動いているのでは無いのである、【目の前に確かに在る】もので動いているのではないのである。
【仮に】が全ての存在の頭にくっついているのが現実社会なのだ、仮に、仮にという概念の世界を泳ぐことが出来れば…数字を理解出来たのだ、父を理解出来たのだ。
【仮に】という数学概念を噛み砕いて言うと、それは予定を立てるということである、計算するということである、そして計算し合い、投影し合うのが現代社会であり利益を出すということである、未来が可視化出来る連中は金を稼げるのである、未来を可視化出来ない連中は…何も出来ないのである。

 

もう縄文時代はとうの昔に終わっているのだ、だから勉強を教えたのにと父は言う、だから数学を教えたのに、だから英語を教えたのに、だからパソコン関連の雑事を教えたのにと父は、背中で語るのである、お前に株を理解するのは到底不可能だよと老いた父は遂に、一人優しく頷くのである。

 

 

 

 

 

M氏、いつもありがとう(夫婦らしき二人)


いつもありがとう、そう私はM氏に言う、毎日言う。
いつもありがとう、M氏はその言葉に対して頷く、毎日頷く。
おそらく私としか…形の上でだが…付き合ったことの無いM氏は、女という生き物が毎日数回は礼を言う生き物であると思っている。

 

数え切れないほどの別れ話をM氏とした、私は随分昔に駆け落ちまでしてM氏の元を飛び出した事もある、しかしM氏はそれでも首を縦には振らかった。
もう別れ話をする気力が無いというのが互いの正直な所だろう、私も頑なだがM氏ほどではない。

 

たった一度の別れ話で、別れてしまうのだな…と思った、私の愛人(もちろん向こうから見れば私はただの妾のうちの一人である)が離婚すると聞いて、私は驚いた。
元は本当に恋人同士の夫婦だったのだろう、本当の夫婦だったのだ、だから不貞が許せなかったのだ。

 

夜、眠ろうとして身体が温まると人恋しくなる、私は夢の中で誰かを求め、夢想のただ中で憧れのあの人を掻き抱く。
せめて誰かとキスをしたいと唇は幾晩も言うが、実際には365日のうち12回ほどの愛人との逢瀬でその全てを満たそうと躍起になっている。
眠る頃に私は大人になる、そして何もかもが窮屈でならないと叫んでその一日を死んで終わらせてゆく。

 

朝、私は暗闇の中で目を光らせ、絵のことを考えている。
一緒に暮らす人は干渉してこない人間が良いと私は頷き、家の埃を取り払い、朝の庭へ踊り出でては全てに満足している。
朝の私は生まれたてで何もかもが手の届かない夢のように見えている。

 

M氏が出かけている昼間は一人の時間だ、一人の時間で私は満たされている、週5日も。
誰にも殴られず、誰にも制作を貶されず、誰にも仕事を見下されず、軽んじられず、ただひたすら自分自身を生きられるのだから素晴らしいじゃないかと私は言う。
昼の私は珍しく楽天家で、自分自身の表面しか見えていない無邪気な子供である、ご飯さえ食べられればそれで良いと思っている根本的な部分が顔を出す。

 

夕方、身体が一気に音を上げ、全身が急激に怠くなる、もう一歩も動けないと私は言う、死ぬときは夕方だろうと私は直感している。
最早全ての時間枠をすっ飛ばして老婆となった私はソファに横たわる、しかし情けない事に腰骨がズレて起き上がれなくなる。
なんとかして起き上がってみても、大抵左足の付け根が体内に食い込んで力をかけられない状態になっている、そういう訳で夕方はいつも片足を引きずり、手を前方に出して空気を犬掻きするように移動している、私の人生は何だったというのかと問うこの哀れな老婆は、風呂に入ると一段落し、ともすると幼児に戻っている。

 

夜が訪れた頃、何故だか全ての寂しさが私を襲う、子供から大人になろうとする前段で私は躓いたまま、誰かと話がしたくてただそれだけのためにM氏を待っている。
M氏が帰宅すると私はフクロウの鳴き真似をする、M氏も保護者然としてフクロウの鳴き真似を返してよこす、二人はご機嫌だ。
これでいいのだと私は自分に言い聞かせる、しかし小一時間もすると何もかもがおかしいと感じ出し、中年の私は秘かに別の部屋で涙する、M氏の観ているテレビの音だけが響く。
しかし涙はM氏には見せない、男の保護者というものは娘の涙にだけは敏感である、これは大人になれなかった涙なのだと言ってもただ狼狽するだけである。
決して娘の手を離そうとしないM氏と、どうしても…殴らない優しい保護者を求めてしまう私は、手を取り合ったまま独特の苦痛を感じている。

 

布団に入る頃、生きている間に私は大人にならなかったのだと毎日毎日思い至る、誰かと抱き合いながら眠りたいと私は呟く、誰かとは、憧れのあの人のことである。
しかしあの人には抱きしめる相手がちゃんと居るのだった、子供も居るのだった、あの人は大人に成ったのだった。
ふと、母方の祖母のことを思い出す、骨の悪さはこの祖母譲りで私は彼女が立って歩いているのを実のところ、見たことがなかった。
今思うと、祖母は沢山の子供を産んだが、その代わりに脱臼したのだろう、畳と同化するようにぺしゃんこになって座って居た姿が蘇る…結局の所、ああなる覚悟は私には無かったのだ、自分の子供らがそうなる覚悟も私には無かったのだ、全て臆病な優しさが原因なのだ。

 

寝室にただ一つ灯った灯りをぼうっと見つめながらMから自立する事を秘かに考える、しかし立ち仕事も足の痛みによって出来ない私が、一体どうやって日々の糧を稼ぐのだろうかと自問自答する。
8時間の立ち仕事よりも、肉体労働とはいえ動きながらの短時間労働のほうがよほど楽だということを、足の悪い連中ならば理解するだろうと一人頷く。
自分の出来る仕事の余りの少なさに愕然としながら、私同様身体の出来の甘い、身体障害者未満の脆弱な奴らが自らの成熟した部分をひた隠しにし、大抵だらだらと親元にいつまでも居る現状を思い浮かべ、同族嫌悪めいた感情を覚える。
優生論を説く人間ほど身体が弱いという理屈を組み立て、自分だけの議論の末果てしなく悲しくなる。

 

ふと、金が欲しくてたまらなくなる、金を目一杯稼いでみたいという欲望で頭が一杯になる、自分がM氏の稼ぎと同等に稼ぐ方法があるとしたら一体何だろう?…しかしどんなに冷静に考えてもM氏の年収を私が叩き出すには、最早詐欺師になるくらいしかないだろうと気付き一気に落胆する。
詐欺師になって男共を騙しながら立ち回っている自分を想像し、一瞬だけ一人ほくそ笑む、そして現実の自分のあまりの無力感から枕を湿らす。

 

年間数えるほどのセックスしてきた日は独特で、身体を洗ったら妙な幸福感のまま布団に潜り込む、M氏には馬鹿げたフクロウの鳴き真似などしない。
親にはセックスの事は内緒だ…しかし夜中に肋骨の痛みで目が覚める、おかしいおかしいこんなのはおかしい。
こんな事は20年前だってしてたはずだ、制服を着た頃から両親に内緒でセックスして帰宅して、彼氏とメールして、そして布団に潜り込む、こんな時期はとうの昔に通過したはずだと自分を罵る。
射精は携帯の動画だけで済ませ、女では勃起しないM氏を横目に、私は寝たふりをする。
こんなのは狂ってる、いつまでも息子、娘時代だなんて狂ってる、私は狂ってる、M氏、あんただってもう十分狂ってるんだ、私たちは狂ってる!

 

M氏と、創作や芸術面で邂逅があれば私たちは名実共に「修道士と修道女」だったろう、片方が隣でオナニーしてたって修道女だったろう、共同生活者として互いを認識し、肉体の営みはその外側に在ると思えただろう。
目が合ってさえ居れば性別や年代は無視出来るものだ、しかし現実の私たちはそもそも、目が合うという事さえなかった。
M氏は日がな一日私とは別のことをやって過ごしていた、私はふと思うのだった、もしかすると別の場所に…M氏と同じように一日中ゲームをして過ごしている女性が居るのかも知れない、その人がM氏と知り合うのを妨げているのは…私自身かも知れない。
M氏が運命の人と出会う喜びを妨げているのは、その実、いつまでも保護者を求める幼い子供の私かもしれない。
つまり私が謝るべき一番の事は、有り体な形式上の不貞などではなく、愛人の奥方に対してではなく、潜在的にM氏と呼応可能な見知らぬ第三者へ向けて「あなたの幸福を欠けさせたままにしているのは私です」と頭を下げることなのではなかろうか。

 

ごめんなさいごめんなさい、家まで建てたのに、これは玩具の家だった、ごめんなさい、あなたが住むべき家だった、私がいつまでも子供で居たいと望んだが為に苦しみを撒いている…と私は見知らぬ誰かへとひたすらに謝罪し、手を合わせて涙する、一方で当惑している、では私は一体何処へ行けばいいのだろうか?私を呼んでいる場所など在るのだろうか?私を呼んでいる人など果たして居るのだろうか?私の居場所はどこだろうか?

 

…音もなく、開いた窓から優しい風が部屋に舞い込んでくる。
鈴虫の鳴き声、本物のフクロウの声、そして草木の香りが部屋の内部まで染みこんでくる。
本当に大切なものに対して真摯で居させて下さいと私は祈る。

 

他の何もかもが欠けている中で、目的だけははっきりとしていた、どんな暗闇の中でも光っている目的、トンネルの向こう側。
そして夜明け前に私は起き上がり、静かに支度を始め、絵の具の匂いを嗅いで自分自身が落ち着くのを実感する。
憧れのあの人に会いたいと思う、恋はいくらでも出来るけれど、あの人のことは30年かけて探し出したんだと自分に言い聞かせる、愛人の好む表現があまりにもぴったりであの人に対しどこか申し訳なくなる。

 

そして朝、起きてきたM氏に私は今日も言う。
M氏、ありがとういつも、いつも本当にありがとう。
庭でカエルが跳びはねていたよ、白鷺が今日は沢山集まってきてるよ、鴨もね、小魚が上流から流れてきたのかもね。
私たちってさ、夫婦ではなく「夫婦らしき二人」だね、世の中には夫婦という言葉しか無いから残酷に聞こえるけれど…私たちは純粋に共同生活しているのよね、男女ではないけれど、でも、私はあなたが職場に居たらきっとすごく頼りにすると思うの。
本当よ、仕事が楽しくなる人よ、M氏、私はあなたが皆に好かれているのをわかるもの。
今日もありがとう、M氏、朝の庭は雨粒だらけで、雨粒にさえも…いえ、いいの、引き留めてごめんね、いってらっしゃい。

 

そして気付くのだ。
雨粒にさえも、一粒の涙にさえも僅かな音が宿っているということを…この種の言葉を一番理解出来るのは、あの人だろうということを。

 

今日からはもうフクロウの鳴き真似はしないわと私は一人きりの家の中で誰にともなく言う。
木々は成長し、蔓草は甘い蜜を出し、私はそれを容赦なくもぎ取って明日の燃えるゴミに出す、愛人と会わないと手の届かないあの人の事ばかり思い浮かべてしまうわと苦笑し、死ぬまで続く足のリハビリを黙々と行う。
本当はね、蟻と一緒に甘い蜜を私も飲みたいの、甘い涙を流してみたいの。
カエルの跳ねる音は何色でしょうね、そうあの人に聞きたいの。

 

ねえM氏、白鷺の飛び立つ音は、鳥たちにはどんな風に聞こえるのでしょうね。
私にはさよならといっている風に、聞こえるのよ、ありがとうさようならと、翼で奏でているように聞こえるの、いつもありがとうさようならって。
ねえ、M氏、そうでしょう、そうと言ってよ。
もう頷いたっていい頃よ、M氏。

 

 

 

 

 

 

憧れ

 

人間にとって一番強い感情や動力源て何だと思います?
それはね、怒りでも憎しみでも、自分が何かに勝ちたいという圧倒的な気持ちでもなく、憧れ、ただそれだけなんですよ。
最近私は人の気持ちがわかるようになりましたよ、今まで謎だったんです。
どうして人が悪口や、自ら選んだ生活の愚痴を言うのか謎だったんです。
それが優しさや思いやりの感情から根を発しているだなんて、知りもしなかったのです。

 

思いやりがあるなら、私が、夜と呼ばれる時間帯にはもう寝て、真夜中と呼ばれる時間帯に起きるようなことはしないでしょう。
思いやりがあるなら、私が、10年、そして今後数十年の間誰にも触れられずに居ても、余所の男に手を出すような事はしなかったでしょう。
思いやりがあるなら、私は、憧れの誰かに絵を見て欲しいだなんて、その本人にも言ったりしないでしょう、絵も描かないでしょう。

 

憧れに対する賛美ほど、他者を一時的に傷つけます。
でも憧れに対して素直で居る事は、何故だか、周囲を元気づけます。

 

憧れに対する賛美を抑制するほど、一時的に「他者の形成する形」を保ちます、一時的というのは数十年に及ぶ事もあります。
憧れに対する賛美を、自らの内側で抑制すればするほど、愚痴や文句、悪口となってその人は自らを沈めてゆきます、そして周囲の同調を強要してしまいます。
何故なら、憧れに対する賛美を抑制することほど、苦しいことは無いからです。
自分に素直に成ることは、一時的に形成された形を壊す事です、その憧れ以外のものを無視する事でもあります。
それが悪いことであると散々教えられてきたがために、特に女たちは愚痴っぽく、口さがない生き物になっているのです。

 

だから、悪口はともかく、愚痴に対する刑罰は無いのです。
憧れを実行することへの刑罰は数えきれませんが、愚痴や文句に対する刑罰は無いのです。
愚痴を言っている人というのは、概して優しく、他者の形成する形を自己よりも重んじているがために、そうせざるを得ないのだと、私は本当に最近知りました。

 

今、二つの価値観が同居しています。

 

一方は、家庭という形を壊した事への罪悪です。
もう一方は、憧れに対する素直な賛美のただ中を生きているということへの、圧倒的な喜びです。
私はあの子に悪いことをしたという意識の一方で、しかし私自身が生きねばその実、何の生産性も無いのだと解っています。
私自身が、日々変化する日常をただこなし、形を守り、賛美を禁止している状態ならば…私とて愚痴っぽくもなるでしょう。

 

一昔前の人間だったなら、夜の7時に寝るような事はしなかったでしょう。
一昔前の人間だったなら、自戒の中で人生を終えたでしょう。
一昔前の人間だったなら、憧れの人に絵を見せに行くだなんておこがましい事はしなかったでしょう。

 

創作や芸術に興味の無い人間と同居するということは、それぞれの時間を生きる事を許す事であると私は思っています。
実際の時間に於いての一秒ですら、邂逅が無いのです。
でもだからといって互いを嫌っているわけではないのです、それを許す事こそが思いやりであって、それが生きる事を許す事なのだと私は思っています。

 

今までの価値観で言うなら私は悪いことをしました。
形を壊す行為は殊更悪いことのように表されます、不倫して相手を離婚させた、これを今言うのは何か歯車が噛み合わない気がします。
この、気がするという部分を私は尊重しています、自分の直感を私は何よりも優先させています。
善い、というのは自分の直感が喜びに満ちあふれたときに使う言葉だと私は思っています。
世の中は私という人間だけで形成されているのではありません、一方で、世の中は私一人しか居ないのです。

 

彼は参っているだろうなと私は思います。
一方で彼は、本来の自分を生きるのだろうなと私は思います。

 

先生、私は世の中の誰もがあなたのような素質を持っていると最近理解しました。
感情はただの感情なので、憎悪を感じる時もあります、でも憧れには到底敵わないのです。
本当に命が繋がっているのなら、誰かはあなたでもあるんです、おぞましいと感じる誰かもあなたの別の姿でしかないのです。
自分を抑え、沈み込んでいる愚痴っぽい老婆すら、あなたの一面なのです。
こんなことを言ったらあなたはどう思いますか。
君は真夜中に起きているらしいけど、寝た方がいいよと笑うでしょうか。

 

私は自分の人生を生きるために絵を描きます。
自分の人生を生きるために真夜中に起きます。
自分の時間を生きるために、あの人が必要であったと私は言います。
その為に憧れを捨てません、あなたへの憧れも捨てません。

 

語弊があるといけないので書いておきますが…私が信じているのは、憧れの先生ご自身その人ではなく…自分の直感です。
先生にどのような人間性があろうとも、彼は彼個人なので彼を信じているわけではないのです、彼が自分の思い通りに振る舞っていると夢想しているわけではないのです。
だからこそ彼がどのような人であっても、私は憧れているのです。
自分自身の憧れへの直感を、ただ信じているからです、私が信じているのはその実、自分自身です。

 

では、絵の時間へ行きます。
朝靄の時間へ。
憧れのただ中へ。

 

 

 

《創作》真夜中の大学に僕は今

 

真夜中二時の大学に僕は今、忍び込んでいる。
大丈夫、授業の後、あの窓を空けておいたから、僕は荷物を背負って校舎の裏側に回り、そこから二階までよじ登る。
自転車置き場を足場にすればすぐに僕の制作場所まで辿り着く。
肩に背負った袋の中には木材や、それを留めるための金具、見たこともないような鉄の何か。
途中、道すがらの工事現場に寄って調達してきた品々だから、それらが成すべき用途は素人の僕には不明だ…しかし、この愛すべき材料たちに「本来成すべき用途」が本当に在るのだとしたら…それは僕の作品に成るとういことだ、そうだろう?
これは悪事ではないと僕は言う、やっぱりどこか罪悪感に苛まれている妙な部分もあって、汗が出ている、それでも尚僕はこの調達を止めない。
だってその材料たちに聞いてごらんよ、ただ漫然と、年度末までだらだらと引き延ばされる工事のために自らの存在を賭けるのか、それとも僕の作品…芸術の命の一部になりたいのか、どちらが物質としての存在意義を満たすのか、小一時間問い詰めたらいい、きっと僕の正しさが証明されるから。

 

真夜中三時からが僕の本番の時間、儀式の時間だ。
作品を作るために物を買うなんてナンセンスだ、売っている物は既に作られた物だ、つまり、作品を作るために「作られた物」を買うなんてナンセンスだと僕は言いたい。
作品を作るのに「指示された」通りに作品を作るのもナンセンスだ、つまり、自分の作品を作るつもりが、それでは「教授たちの」疑似作品が出来上がるに過ぎないと僕は言いたい、作るのなら徹底して僕自身の作品を作りたいと僕は言いたい。
美大ってその為の場所だろう?
だからこれは決して授業をボイコットしているのではないと僕は言いたい、それでもやっぱりどこか緊張して意地になっている部分もあって僕は少し汗をかいている。
油彩の時間に立体制作などして、あの教授、単位をくれるだろうか?
よし、窓は開いている、辿り着いた。

 

窓から差す月光は消えかかっている、制作場所があるってなんて嬉しい事なんだろう。
椅子は僕が昨日動かした時のままだ…と言いたいが、何か歪んでいる気がする。
人が居ない分空間が広がっているような…それも果てしなく広がっていて、どこか別の時間に繋がっているような…いかんいかん、すぐに取りかからねば。

 

僕は調達してきた材料たちの荷ほどきにかかった。
工事現場で○○したものたちは木々を留めるのにぴったりだ、しかし変てこな金具だけはとうとう使い道がなかった、大丈夫、次の作品で使ってやるから安心しな。
そして多摩川上流で拾った流木、石、枯れ葉、僕は縄文人のようだな、こういう物が素晴らしく煌めいて見えるんだから。
…そしてこれ、赤い、何かの骨、結構大きめ。
まさか人骨?
もしそうだったら…僕は赤い骨を握りしめた、ちょっと暖かい。
赤い骨の長さは大腿骨くらい、何かの大腿骨、何故赤いのか、病気か何かか?
…と思った途端、少し気持ち悪くなったがそれでも僕は骨を握ったまま座して居た。
何にせよ、この赤い骨が僕の手に在るということは、こいつは僕の作品に成るべくして生じているのだ、死が作品として昇華する、素晴らしいじゃないか。

 

目の前に降りてきた旋律の通りに僕は手を動かし、そこに確かに在る死としての流木が、生きて蠢いているかのように強弱をつけながら、束ねた。
束ねた間から先ほどの赤い骨を食い込ませた、これが人骨だったらいいなと僕は思った、僕はこんな風に死にたいと思った。
この作品は死がテーマだが、僕はまだ二十代前半、僕自身の死は僕からは見えない。
僕の死は何だろうか、バイク事故?タバコの吸いすぎで肺がん?わからない、全くわからない。
…あ、赤い骨が転がった、留めておいたのにこいつは、帰りたいのだろうか。
…?…歌?
僕はあたりを見回したが、人の気配は無かった、それでも僕は何かが僕に呼応を求めているのを感じた、その呼応を信じた、そして制作した。

 


午前四時、僕は少し手を止めていた、このまま授業が始まるまでここに居ても大して問題が無いことはわかっていた。
しかし5時から7時くらいまでどこかで仮眠を取りたい。
ふと、彼女の部屋が浮かんだ。
彼女は当然こんな時間には眠っているだろう、絵の具臭いあの部屋の中で、絵の具の匂いと女の子の匂い、そして食べ物の匂い、つまり全ての匂いが詰まったあの部屋の中で彼女は眠っている。
ああなんだか勃起してきた、けれど、さっきから誰かが僕を呼んでいる気がして鬱陶しい、鬱陶しいのに…何よりも僕が求めている事のような気がしてしまう。
こんな「おかしい時間」に起きて歌っているような人間…特にそれが女なら、さすがの僕も御免被る。
彼女は…あいつは、普通の時間を普通に生きている人間だから僕は一緒に居て安心するんだ、あいつに対しては…初めての男として、抱いてしまった責任もある。
僕と同じように工事現場で○○をし、材料を手に入れ、夜中の大学に忍び込んで一人きりでハイになって制作するような女とは付き合いたくもない…でも…。
この大学にはもっとそういう奴らがウヨウヨしているのかと思いきや、皆、意外なほど規則正しく真面目で、普通、だった、女の子たちは普通に可愛い子ばかりで僕は…実は少し残念だった。

 

怖いもの見たさという言葉しか当てはまるものが無くて、僕はもどかしくなった。
変な女と真夜中の大学でセックスしたいわけじゃない、制作に文字通り全身全霊を捧げているタイプの女とはその実、付き合いたくもない、結婚なんてさらに嫌だ。
…でももっと、自ら進んでかっこ悪い事をしでかすような男女が…要するに変人がわんさかいるのが美大だと僕は思っていて、その予想が外れて…僕はがっかりしていた。
皆、授業で言われたことは言われたとおりにこなしていた。
油彩と言われたら油彩、モチーフは花と言われれば花を描いた。
職業アーティストになるというのならそれでいい、言われた通りに美を仕上げる、そして自分の美を高めてゆく、実際その根性が無ければアーティストを生業にすることは不可能だった。
それは僕にも痛いほどわかっていた。
それでも何かが欠けている気がした。

 

そして僕は入学してほどなく決意した、変人が居ないのなら自らが変人に成れば良い、何かが欠けているならば自らがその欠けた何かに成ればいい。
ただ残念がって、誰かが何かを成し得てくれるのを待って、欠けたままの空間を指をくわえて見えているだけなんてのは、一番情けない事だ、アーティストが受け身でどうする!…僕は自分をそう叱咤激励して過ごした。

 

僕は、僕以外にこの大学に、誰も真夜中の制作をしに来ないのを寂しく思った。
セックスしに来ている連中はいるかもしれない、でも純粋に制作の喜びを感じるには、太陽の気配だけが秘かに充満するこの時間が何よりだった、それなのに誰も居なかった。
夜明け前のこの時間が一番芸術の勘が冴える時間なのに、教授たちも惰眠を貪っているのだろう、学友たちもこの神秘の時間を無視している。
午後なんてのはもう制作には不向きで、昼寝をしたほうがよほどいいのに…誰か来ていればその人と話がしたいと僕は思った。
僕は夜明け前を飛ぶ白い鶴、僕は一人そう口ずさみ、何かを補った、欠けた何かを僕は補うのに必死だった。

 

午前5時、空が明るくなってきてしまった、どうしてこうも残念なのだろう。
何処かで、何処かの時代のこの時間、あるいはこの時代、あるいは別の時空間で、僕と同じように制作に励んでいる誰かを僕は心の何処かで切望していた。
変人、病人、呼び方は何でもいい、少なくともこの大学には僕の作品を見て泣ける奴は居ないだろう。
僕は窓を開けた、愛すべき材料たちはそのままに置いておいた、また午前中に僕はここに来て制作をする。
けれど、僕はやっぱりこの時間が好きだ。
僕は赤い骨を拾うとリュックサックの中に入れた、骨は何度も僕の作品から逃れようとしていたので、もっと強力な接着剤を買おうと僕は目論んだ。
僕は窓から静かに降りた。

 

朝靄の中、彼女の住む部屋には「通常の朝5時あるいは6時」が訪れようとしている。
僕は通常の時間に居る彼女を見てほっとするのだろう。
そして僕は起き抜けの彼女にキスをする、彼女は「普通の時間に制作しなよ、拾った骨なんて気持ち悪いよ」と助言を与えてくる、僕は無視して彼女を抱き、彼女はそれを受け入れる。
僕は一人、仮眠を取るために赤い骨と歩き出した。

 

 

 

【詩】赤い骸骨

 

赤い二体の骸骨が尋ねる
お前には出会うべき人はいないのかい?
お前は何故その人に向き合わなかったのかい?
お前は何故その人以外の男に自分の世話をさせて平気でいるんだい?
お前は何故肉体の若い時にその人を懸命に探そうとしなかったのかい?
お前にせっかく肉体を授けたのに
私たちはもう死ぬよ
私たちは生きたから
お前の為に死ぬだなんて傲慢な勘違いはよしておくれ
私たちは赤い骸骨
情熱の骨
一つの命
赤い赤い夏

 

お父さんお母さん
赤い骸骨を私は拾い
一度は熱くて砂の上に落としてしまった
果たして二体のうち
最早どちらと判別のつかぬ大腿骨を素手で握って
砂の上に模様を描く
この線からはみ出したら駄目
美しくないから駄目
駄目なことは悪いこと

 

赤い骸骨は言う
その実一番駄目なことは
他の模様を褒め讃えることだよ
讃える事は一番の罪
讃えたもの以外が崩れ落ちてゆくから
お前は何故その人だけを褒め讃えない?
悪口のほうが
まだ優しいんだよ
呪詛でない悪口が許されているのは
讃える事の恐ろしさを皆が知っているから
だから悪口を言うんだ
お前だけがそれを知らない

 

お父さんお母さん
それでも褒め讃えるもので世界は溢れていますよ
その人の居る街は
それだけで光って見えます
そしてあの人の居る街も光って見えます
私が死して尚も砂の中を迷うとお思いですか
私の一番の罪は
その人が実在すると
信じ切れなかった事です
その人を探すと
若い時期から自覚出来なかった事です
自分自身が生きていると
思えなかったことです

 

赤い骸骨は笑って言う
果たして二体のうちどちらとも判別のつかぬ肋骨の一本は
他の骨に重なり
赤い音を立てて砂の内に崩れた
見よ
娘よ
情欲というもののなれの果てを
見よ
娘よ
命というもののなれの果てを
見よ
娘よ
「誰か」と出会うということの
決定的な快楽を見よ

 

お父さんお母さん
あなた方の赤い赤い夏は
私なのです
あなた方が一つに溶け合った夏こそが
私そのものなのです
私があなた方の夏そのものなのです
私が南方の人間と思われるのはあなた方の一夏のためです

 

赤い髑髏は言った
置いてきぼりになったのか
哀れな娘よ
お前は自分の夏に辿り着けずに
この砂丘で生きながらに彷徨っているのか
誰かに出会いたいと望んだはずだ
あの時節その人は別の誰かを見ていたのかもしれない
お前以外の誰かをその人は抱きしめようとしていただろう…それでも
あなたを探していた
あなたを探していた
ずっとあなたを探していたと
すんでの所で駆けつけて何故言わなかったのか
何故間に合うと信じなかったのか

 

お父さんお母さん
一つになった赤い霊よ
たった一度の夏よ
それが善い事だとは思えなかったのです
その人が私を探しているとは到底思えなかったのです
何故あなた方は出会えたのですか
それなのに何故
私の骨は欠けているのですか
この身体ではその人の望みに
私は叶いません
その人の人生に
私はそぐわない
その人の人生に
身体の欠けた私が欠けていても
何の問題も無いのです

 

赤い夏は娘の言葉に遂に泣いた
赤い赤い祖霊は静かに
夜の訪れた砂丘を湿らせていった
骸骨はもつれ合い
既に砂の一部と化している
それでも尚
手で触れると暖かさがあった

 

お父さんお母さん
皆が皆あなた方のようにはなれません
お父さんお母さん
あなたの娘ですら
欠けたものを補うので精一杯なのです

 

私の骨は青い骨
一人きりだからこそ
その人を讃え
一方であの人の涙を舐め
さらに隣に座す人に頭を撫でてもらう事が許されているのです
全く同時に
幾つもの季節を褒め讃えることが可能なのです

 

二体の赤い骸骨は砂丘そのものと化し
砂丘は夜風に吹かれ
消え消えに言った

 

人は最後は自分の想いを優先すべきだ
人は生まれてから死ぬまでいつでも最後の夏を生きるべきだ
他の全てを貶すことになろうとも
良いと思ったものを褒め讃えよ
たとえしわ寄せが行くことになっても
尚も強く褒め讃えよ
自らの夏を
その人を讃えよ
私たちはそれを許している
娘よ

 

私たちは赤い骸骨
情熱の骨
一つの命
赤い赤い夏

 

 

 

【詩】俺と言うあなたへ

 

 

って今日のあなたは言うのですね、3年経ってはじめて聞きました、一体どういう風の吹き回しでしょうか、この吹き荒れる風のせいでしょうか。
実際の時間は10分しかないので、数枚の絵だけを一秒で見せるに留めます、この一秒に私の一ヶ月の時間が込められているのです。
手短に申し上げますと、愛しています…等とは言いません、だって、たったの一瞬しか時間は無いのですから。

 

 

世の中を恨んでいました、自分の病弱さや肌の醜さを恨んでいました、殴られることを恨んでいました、犯されたことを恨んでいました。
その私が、幼い子供を傷つけました、その子から恨まれても当然なのです、でも私は笑って言います。
私は全部許している、だからやったのよ、私にはあなたのお父さんが必要だったの、誰よりも必要だったの、これは善いことなのよ。

 

 

と言っている今日のあなたはどう答えるでしょうか、償いが必要だねと今日のあなたは言うでしょうか、果たして言うでしょうか。
僕はそうは思わないね、償いが必要だね、第一それじゃ世の中は傷つけ合ってばっかりの相関図になってしまうじゃないか、戦争もいつまでも終わらないじゃないかと以前のあなたなら言うでしょう、僕と言っている時のあなたはどこかご自身の理想を生きておられるように、見えましたから。

 

私は今

 

裏切りの最中を生きているのかもしれません。
あらゆる裏切りの中で一番の裏切りをし、あの子のお父さんにも裏切るように唆したのかもしれません。
その裏切りを、私の保護者も知っているのです、保護者だなんておかしいでしょうか、そうです、おかしいんです、全部一つずつ欠けているんです。
あなたの名前と同じように全てが欠け、ちぐはぐになったまま世界は進んでゆくのです、欠けたものを補うように進んでゆくのです。
だからあの人が必要だった、だから私も供物になった、私はそれを今、許しているのです。
自分を裏切った人たちの事も、許せるようになったのです、自分の悪事によって悪事が悪事ではないと知ったのです。

 

俺は

 

と言うあなたと、僕はと言う時のあなたはどこか別人のようです。
僕はそうは思わないね、人の家庭を壊して平気な顔をしている君は間違っているとあなたは言うでしょう、僕はと言う時のあなたは、綺麗なあなたはそう言うでしょう。
全く同時に、俺は何故だか今君を理解したとあなたは言うでしょう、何故なら俺と言うあなたはあなたの暗部だからです、あなたのまったき主観的な部分こそが、俺と言うあなただからです。
あなたの二面性を私は許しているのです、相反するあなたを見つめています。

 

私はいつでも

 

私です、以前はいつでも僕でした、私は僕でした、僕は僕でした。
僕と言う言葉はどこか矛盾していて、自分を表す言葉なのに、それを口にすると自分の視点が自分の肉体から俯瞰した状態へと移るのです、永遠の客観性、僕と言う言葉を発すると傅いている自分が見えるのです、あなたもそうなのでしょうか。
邂逅は一瞬です、だから私があなたの10年前を知らなくとも、文章の中で知ったあなたの隣に確かに私は居たのです。
だから私も同じ事をしました、10年前、20年前の私をあなたに読ませ、時間の外側、あるいは内側の「その時」にあなたに隣に居て欲しいがために全てを書きました。
私はいつでも僕と言うあなたに出会いたかった、私はいつでも俺と言うあなたに側に居て欲しかった。
たった一瞬の為にやったのです、あなたと見つめ合うたった一瞬の為に。

 

俺は今

 

少し悩んでいるんだ、ここを開業してそろそろ数年経つ、けれど内側ばかりに籠もってしまっているよね。
もっと外側に知らせてゆかないといけないんだ、その為に文章を書こうとしているんだ、このままでは俺は駄目だ、俺はもっと世の中に善いことをしたい。
全てを新しく刷り直してゆくこと、開示すること、芸術にもその他の分野にも必要な事だよ。
俺はもう、あの頃のような文章は書かないかもしれないよ、先のことはわからない、書くかも知れないよ。
今は人の為になることをしたい、これって傲慢かな…あの頃はそこまで考えていなかったから何でもかんでも書けたんだ。
子供だったんだ、人の事なんて考えていなかったんだ、あの頃の俺は。

 

私も

 

傲慢でした、他人からの言葉や態度に悪意や厭味、裏切りの要素があるとすぐに幼い私は反発し、許せなくなりました。
「どうして私に優しくしてくれないの?私一生懸命なのに」と子供の私は思ったものです、そして他者をなじりました、悪い言葉を言う人間は幼い奴だとなじりました。
全ての人が自分の直向きさに向き合ってくれて当然だと、私は傲慢にも、思っていたのです。
それがどれほど傲慢かを全く知ろうともせずに幼稚な私は言っていたのです。
自分こそが正しく、正当に評価されるべきで、悪者には天罰が下るべきと本気で思っていたのです、許さない事が正しいと本気で思っていたのです。

 

それはともかく俺は

 

早く昼飯を食いに行きたい、俺は腹が減ったと今日のあなたは臆せずに体現していますね。
あなたの子供っぽい仕草をはじめて見ました、あなたの子供時代を3年経ってはじめて見ました、あなたの数十年前をはじめて見ました。
あなたの内面を知った喜びに震えていても、名残惜しそうにしていてもあなたは鍵を振り回しているご様子、俺と言うときのあなたは振る舞いも違う。
今日の10分をありがとう、一瞬をありがとう、何処かの時点から見たら既に途方もなく昔、あるいは未来に、食べ終えているお昼をどうぞ、食べてきてくださいな。
吹き荒れる風の中、私は一瞬振り返ってあなたに手を振ります。
手短に申し上げますと、愛しています、という言葉を手のひらに込めて。
それが私の喜びなのです、一瞬の、永遠の喜びなのです。

 

 

 

 

 

【散文詩】こんな仕事


「こんな仕事」と言う老婆に私は言う。
「こんな仕事とあなたは言うけれど」と私は言う。
「貴女にとってのこんな仕事は、私にとっては今までのどんな仕事よりも働く喜びに溢れていますよ」と私は言う。
「貴女にとってのこんな仕事は、私には、行うのが奇跡のお仕事なんです」と言う私に老婆は少しうろたえた後、日差しの下で何か言いあぐねて私を凝視している。

 

足の骨が欠けている、けれど私は歩いている。
歩けるのならば手術はまだ先、手術が先ならばそれまでは働かねば。
足が痛いときもある、けれど私は辿り着いた先で肉体労働をしている。
肉体労働は思いのほか爽快、それは仕事仲間が楽しいから。

 

毎日働きに来られるのは欠けた骨を埋める何かが在るから。
欠けた骨を埋める何かが私を歩かせているから、まだ歩かせているから。
毎日働きに来られるのはフクロウが呼ぶから、店先のフクロウが呼ぶからと阿呆のような事を言える、面々が居るから。

 

「嫌な人ばかりよ」と言う老婆に私は言う。
「あなたも含め良い人しか居ませんよここには」と私は言う。
「あなたは悪い人を知らないのよ、あなたは世の中に悪い人が居るのを知らないのよ」と言う老婆に私は笑って言う。
「何を隠そう私がその悪い人ですよ、私は悪い人間なんです」と迫る私に老婆は少しうろたえ、後ずさりする、飲みかけの珈琲を防波堤にして私を見ている。

 

飛行機を見ながら空いたバスに乗って、気付くともう職場に着いているの。
海に着いているの、洞を綺麗にする仕事よ、有機物はみんな波に溶けてゆくのよ。
歌いながら仕事が出来るのは誰のおかげ?
仕事が終わってから大した儀式もせず、いきなり気持ちを創作に切り替えられるのは誰のおかげ?
私がどんなに楽しく仕事をしているか、あなた方に知らせたいわ、あなた方全員に知らせたいわ、誰も欠けてはならないのよ、あなた方のおかげなの。

 

私も分からず屋だったから、一人で出来る仕事を一人で楽しくやっているのだとばかり思っていたわ。
自分だけで何もかもやっていると思い込んでいた。
仕事仲間とは挨拶だけ。
その挨拶や談笑がどんなにか重要だったのか最近ようやく気がついたのよ、アイスコーヒーがこんなに苦いなんて。
面接がこんなに堅苦しいものだったなんて。
…私だけしか電話をもらっていないだなんて。

 

「あなたはもっと責任のあるお仕事を任されるはずよ」と老婆は言う、ふてくされたように珈琲にミルクを入れている。
「あなた方がいないのなら、欠けた骨は欠けたままよ、そこに何か在るから動くのよ、微笑みがあるから足が動くのよ、私の足が動いているのは奇跡なのよ」と私は、言わないで老婆をただ見つめる。
見つめられ慣れていない老婆は私の視線にうろたえ、何故、と私に問う。
「会社からのノルマ、現場、ホテルの無能な人間共」と私は言わない、違う、と私は自分を叱咤する、無理を押しつけられそうで怯えている自分をぴしゃりと打ち、背筋を伸ばす。
私のような人間が、職場の人間によって仕事を続けるか辞めるかするなんてね。

 

欠けた骨を埋めているのが周囲の人間だったなんて、以前の私が知ったら辟易しそうね…私はアイスコーヒーを飲み干す。
電話に安請け合いしてしまったようで脂汗が浮かぶ、骨が持たないのを私は知っている。
微笑みの無い職場では骨が持たないのを私は予感している。
あなた方が居ないんなら、私は辞めるわと私は言う、自分でも驚きつつ、それが真実だと私は知る。
あなた方が居るんなら、私の骨は動くでしょう、手術までは動くでしょう、多少痛くても私は働くわ、だって働いていたいからと私は言う。

 

私たちは似たもの同士、氷の溶けきったグラスを見つめている、他人が怖い者同士、身体の弱い者同士、空になったコップと珈琲の匂いだけを同じテーブルで共有している、少しの均衡で場が保たれている、絶妙な幾何学模様が私の身体を形作っている。

 

「どうしてこんな仕事…」とまだ言う老婆に私は言う。
「こんな仕事とあなたは言うけれど」と私は言う。
「貴女にとってのこんな仕事は、私にとっては今までのどんな仕事よりも働く喜びに溢れていますよ」と私は言う。
「貴女にとってのこんな仕事は、私には、行うのが奇跡のお仕事なんです」と言う私に老婆は少しうろたえた後、とうとう観念して私をまっすぐに見つめ、ようやく静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

【詩】道筋

 

悪い事をしたのに
善い事をしたのと
同じかそれ以上に
私は
喜びに打ち震えている

 

何故なら
今まで流した涙を
全て飲み干せたから

 

悪事は悪事ではなかったと
道筋でしかなかったと理解したから

 

誰も所有出来ない数字なら
私が頬を叩いた人へ渡せるけれど
謝罪は
それを許さない限り発生しない

 

今まで流した涙や
堪えた涙を
本当に飲み干せたときにしか
許しは起こらない

 

悪い事をした私は溌剌とし
涼しくなった途端に
お久しぶりとばかりにやってきた骨の痛みに耐えかねている

 

分からず屋は言うだろう
罰が当たったのだと

 

骨は笑いながら言う
痛みは
私が生まれ出でたその日から誰も傷つけずに居たとしても
誰とも関わらずに生きても
何の喜びも感じずに生きても
生じたものだと

 

喜びは
関わりが多い時にほど感じるものだと骨は言った
私を痛めつけながら骨は笑った

 

以前なら骨をなじったろう
悪事の神秘を知る以前の私なら
骨をなじったろう
神をなじったろう
拭えない涙をただ流しただろう

 

道筋は勝手に
私の身体を欠けさせ
私をあの人に引き合わせ
苦痛と快楽が
同じである事を教えた

 

もう言わないと私は言う
なんで私がなどと
もう言わないと
悪事を知った私は言う
悪事を許せるようになった私は骨と共に笑う

 

痛みの中にあっても
喜びのうちにあっても
私が頬を叩いたあの人の涙で清められた私は言う
何故悪事の内側にこのような許しが存在しているのか
悪人だと言われるほどに
私は
悪人の心に宿る許しを知る

 

それは勝手に生じたひび割れ
自然の道筋
そこに色を足し
主要道路と小さな路地裏
葉脈と血管
私の欠けた骨と誰かの涙

 

物事の大小は連なる連続に過ぎず
物事の善悪は連なる連続に過ぎず
一つの存在に集約される

 

悪い事をしたのに
善い事をしたのと
同じかそれ以上に
私は
喜びに打ち震えている

 

何故なら
今まで流した涙を
全て飲み干せたから

 

悪事は悪事ではなかったと
理解したから

 

私を傷つけた誰かの悪事も、誰かにとっての道筋であったのだと理解したから

 

 

 

 

 

 

 

【詩】まさか許しが


まさか許しが、このような形で私に、恵みとして与えられるとは。
私は感嘆します、あなたが、許せないと私を指さす度に私は、自分が許せなかった誰かを、許しているのです。
許しというものがこのような形で私に、内部からの恵みとして湧き起こるとは。
誰も許せなかった私が、全てを許せるとは。

 

だから泣いているあなたよ。
私を許してください、私が幸福を追求するのを許してください。
私が笑うのを許してください、私が楽しく過ごすのを許してください。

 

私が今しなければならないのは、誰かを不運にした分だけ喜びを撒く事なのです。
私自身の感じる罪悪の気持ちを薄めるには、私自身が私自身の為に、自分の考える幸福を追求し、明るく過ごす事より他無いのです。
罪を償うというのは、誰かの涙の分だけ、私は自分の周りを気遣い、自分自身の幸福と真正面から向き合い、邁進することなのです。
それしか罪を償う方法は無いのです、だって罰なんてこの世に存在しないのですから。

 

あなたにとって悪いことをした私は、誰にも罰されません、自然から罰されもしません。
小学生の頃の私を襲った人間にも毎日、太陽は光を注ぎ、風は彼等を優しく包んだのです。
それで良いのです、それが答えなのです。

 

そんなのはおかしい、何故神様は悪者を罰しないと、下を向いて恨み言を呟くという意味では、確かに被害を受けたあなたのほうが辛いでしょう。
あなたが、具体的な意味での償いを求めているのならその金額はお支払いします、だってお金は、誰の物でもありませんから。

 

私はいつでも被害者でした、私は身体が弱く、頭も悪く、人々は不親切で信心が無く、快楽は、それが目覚めきるよりも前に暴力により、おぞましい苦痛へと変化しました。
それは常に誰かのせいでした、誰かのせいで自分が不利益を被るのだと私は思っていました。
その誰かを何故、太陽は照らし、風は包み、何故足蹴にせず大切にするのだと心底憤っていました。

 

その怒りは冷えず、私は世界に呪詛を吐き続けました、聖書のヨブのように私は言いました。
「私が何をしたというのだ、何故私の皮膚だけが爛れるのだ、何故私を辱めた者は罰されない、神は一体何をしているのだ」
私は長年叫び続けました、私にもなだめてくれる友人が居たというのに私は言い続けました。

 

今、あなたに指をさされて私はわかったのです、私は悪者になってようやく気付いたのです。

 

本当に悪人が更生するのには何が必要か…罰か、罰金か、さらなる争いか、さらなる規制か、平和という目に見えない現象のために悪人を閉じ込めておくことか、殺してしまうことか。
何が真の公平なのか。
それは、本人にしか理解出来ない幸福を、本人が追求すること…幸福のただ中を生きること…それだけが本当の意味で周囲の為になるのだということを、私は確信したのです。

 

人の介在が無関係になればなるほど、幸福は純度を増します、わかりますか。
それこそが他者を幸福にするのです。
誰かを傷つけた自覚があるのなら、他の誰かや世界そのものをその分だけ幸福にしない限りは、罪は償えないのです。

 

だから世界はいつまでも完結しないのです。
私があなたを傷つけたその行為ですら、私の幸福への道しるべだったのです。
つまり私を襲った誰かにとってもそれはその人の…その人にしか理解し得ない道しるべだった…そういう事です。
納得なんていかないでしょう、私もそうです、でも良いのです。
ただ一つ言えるのは、私の被った被害も、私が与えた被害も、他者が介在していた時点で本当の幸福にはほど遠いということです。
あれらは道しるべでしかなかったということなのです、つまり、たいしたことは無い行為なのだと私は言います。

 

泣いているあなたに対して、たいしたことは無いと私は言います、笑って言います。

 

あなたの幸福を私は知りません、それでも私はあなたを知っています、だからあなたが幸福を追求したら善いだろうと祈っています、今も、この先も。
聖書のヨブで居るあなたに私は言います。
「あなたはたった今も幸福になれる、光はいつでも差している」
小学生を強姦した人間に私は言います。
「あなたは幸福になるべきだ、そして自分の周囲を明るく照らしてください、それが本来のあなたです」

 

おかしいでしょうか、笑っている私はおかしいでしょうか、あなたは私をおかしいと言います、私を病気だと言います、あなたは最愛の人をも病気だと言って身を固くしています。

 

あなたに指をさされるほどに私は汚れ、その都度私は喜びを感じます、悪人にもこれほどの光があるのだと私は自覚し、そして許すのです。
悪人だと思っていた人間を私は許すのです。
私を傷つけた人間を私は許すのです、私をあざ笑った人間を私は許すのです。
そして自分を私は許すのです。
今まで決して許せなかった他者を私は確かに、あなたに指を差されるほどに許しているのです、それはあなたのおかげなのです、だから私はあなたに感謝しているのです。
泣いているあなた、子供をひしと抱き寄せ、おぞましい私に決して触れさせまいとしているあなた、わかりますか。
汚いと言われれば言われるほど、私は理解するのです、自分がおぞましいと思ってきた人間の内面をその時に私は確かに体感し、理解するのです、触れられないものなど無いのだと私は理解するのです、汚さなど無いのだと理解するのです。

 

理解出来ないと思っていた人間の内面を、あなたに悪人だと言われれば言われるほど、病気だと言われれば言われるほど、私は理解するのです。
殺人犯、訳のわからないことを叫んでいる不気味な人間、理解し難いと思われる奇行に走る人間、病気の人間、そして強姦魔…まさに性的に汚い人間のその内面を私は確かに理解するのです、汚れていると言われるほどに私は理解するのです。
掟を守れない人間の内面を私は確かに、理解するのです、それはあなたによってなのです、泣いているあなたによって、涙によって理解するのです。
どんなに醜い人間の内面にも光のある事を私は、確かに理解し、そして感嘆するのです。
神性の宿らないものは無いのだということを私は理解するのです。

 

きっとあなたと私は性根の部分では同一なのです、私もあなたの立場なら私を糾弾したでしょう、糾弾するのが醜いからといって、私を病気ということにしておいて、涼しい顔を保とうと必死だったでしょう。
泣いているあなたが夢に出てきたとき、もっとあの人に、あなたを傷つけないようにと言うべきだったでしょうか。
私は、これで善かったと思うのです、あなたを泣かせてよかったと、思っているのです。
私は酷い人間なのです、だって私は、慈悲は傷つけた人間には行わなくてよいと思っているのですから、あなたの涙が私を浄化したと思っているのですから。

 

だから良いのです、私を傷つけた人間が何処かで幸福になっていて、周囲を照らしているのならそれで良いのです。
それは善い事なのです。
全て許されているのです。
私がこんなにも清々しい気持ちで居るのを、あなたも、きっと私以外の誰もが理解し得ないでしょう、それでいいのです。
何故なら、それが幸福というものの正体なのですから。

 

まさか許しが、このような形で私に、恵みとして与えられるとは。
私は感嘆します、あなたが、許せないと私を指さす度に私は、自分が許せなかった誰かを、許しているのです。
許しというものがこのような形で私に、内部からの恵みとして湧き起こるとは、あなたの涙によって清められるとは。
誰も許せなかった私が、自らが悪人となる事によって、全てを許せるとは。

 

生きている間にこのような確信が生じるとは。

 

だから泣いているあなたよ、私が泣かせてしまったあなたよ。
どうか私を許してください、私が幸福を追求するのを許してください。
私が笑うのを許してください、私が楽しく過ごすのを許してください。
あの人が幸福を追求するのをどうか、許してやってください。

 

 

 

 

【詩】加害者の私


あの子は私とよく似た人
あの子は私を大嫌い
私を大嫌いなあの子をあぜ道で呼び止めて思い切りぶん殴った
自分の泣き顔がどんなか
見たかったから

 

その話を私は笑いながら
先生にしたの
話題はなんだってよかった
先生と話がしたかったから

 

先生は言ったの
「それで、泣き顔はどんなだったの」
私は言ったの
「人の泣き顔なんて誰でも同じでつまんなかった」
先生は微笑んで言った
「そうだよ、生き物や全てのものの根っこは同じなんだ、だからあの子も君も同一人物だよ」

 


実は身構えていた
先生が私を諭すために
私を殴るかも知れないと
思っていたから
殴られたら痛いだろうと知らしめるために
私を殴るかも知れないと
思っていたから

 

でも罰は無かった
罰は無かったの
世界に罰は無かったの

 

お日様は毎日
私の事も余すこと無く照らして
風は心地よく通り抜け
緑は優しく歌って
全体全部がこう言った

 

「全うせよ、幸福を全うせよ、全生命をかけて幸福を全うせよ」

 

あの子はそのまま大人になって言った
「世の中はあんたみたいな加害者ばっかり」
老婆になったあの子は言った
「自分ばっかり割に合わない」
あの子は言った

 

「誰も謝ってくれない、誰も償ってくれない、誰も罪を覚えていない、世の中は加害者を罰しない」

 

ねえ先生
私謝った方がいい?
ねえ先生
私悪いことをしたの?
でも悪い事って一体なあに?

 

だってあぜ道でぶん殴ったことは
あの子の幸福には無関係の事でしょ
あの子は次の日に笑ってればよかったのよ
お日様も風も緑も全体全部が言っているでしょ
幸福を全うせよって

 

私はあの子に言ったの
「ごめんね、私、形だけで謝ることは出来ない、謝るふりは出来ないの、ごめんね」
あの子は私を見て言った
「私の泣き顔を見たでしょう?殴られたら痛いのを解っているでしょう?私の痛みを知っているはずよ、それなのに何故こういう行いをしたの?あなたは加害者だという自覚はあるの?何故罪悪感も無く笑っていられるの?」
私は言った

 

「だって私、今、幸せなんだもの」

 

あぜ道に立って水田を見ている
水面にあの子が映っている
私はあの子に言った

 

「あなたも幸せになればいいのに」

 

あぜ道を通り過ぎた後
加害者の私は振り返ったけれど
あの子がどんな顔をしていたのかは
私からは見えず
幸福を追求せよという木々たちの囁きだけが
周囲を満たして絶え間なく微笑んでいた

 

 

 

 

【詩】性の営み


虫が鳴いている
今この瞬間しかない場所で虫が
誰かを探してただひたすらに鳴いている

 
私が私の肉体を纏うよりもずっと前から
私が別の私だった頃から
連綿と繰り返されてきた光の営み

 

性の営み

 

虫の音の響くまさにこの瞬間
あなたと私は一緒に居る
伝統の柵の内側にあなたは居て
それでも私は憚らず柵の向こう側のあの人を目を伏せながら見ている

 

柵を抜け出さずに居る私はあの人を見ている気持ちだけを秘かに
私の腹の中へ
腹の中へ込めてあなたと虫のように重なり
勢いよく腹を震わせて泣いた

 

そのように幾晩も過ぎ去り私の腹は膨れ
涙と共に凹み
新しい光が生じ
あの子が生じた

 

これで私は
柵の向こう側のことは忘れられると
柵の向こう側は無くなると私は思っていた

 

その時節の虫たちは絶え
土から新しい虫たちが顔を出し
そして次の世代もまた鳴き始め
誰かを探し始める頃

 

成長したあの子とその妻は一緒に居て
伝統に従って粛々と柵を作り
その内側に二人は行儀良く座しては居るけれど
それでもあの子は私に似て憚らず柵の向こう側の誰かを盗み見ている

 

実在し得ない誰かを見ているやりきれない気持ちだけをあの子は
腹の中へ
腹の中へ込めて虫のように妻と重なり
勢いよく腹の外へと押し出して泣いた

 

そのように幾晩も過ぎ去りあの子の妻の腹が膨れ
絶叫と共に凹み
新しい光が生じても

 

それでも誰かを
憧れをあの子は忘れられなかった
子が出来てもあの子は夢想し続けたがために夢想は実体を纏った
あの子はとうとう柵を越え
肉体の在る夢に手を伸ばし

 

本当に接吻した

 

あの子は本当の接吻をした
祖霊の誰もが夢想してきた接吻を
本当の接吻を遂にあの子はした

 

どうかあの子を責めないでちょうだい
これは私が自ら腹に押し込めてやり過ごした
私のあの人への気持ちのせいなの
連綿と受け継がれた憧れのせいなの

 

性とは

 

飽くなき憧れのことなの
憧れを持たない生き物がいないように
あの子も作られただけなのよ
どうかあの子を責めないでちょうだい
憧れを持たない生き物などこの世にいないのだから

 

虫の音の響くまさにこの瞬間
私はあの子を見ている
あの子が夢想のただ中に身を投じたことを
虫の音が何を慮ってか色とりどりにかき消している

 

夢想はどこまでも続き
血が絶えることはない

 

これはずっと昔から繰り返されてきた性の営み

 

あの人への想いは叶わない
憧れは絶えない
あの子はそれを受け継いだ
これを受け継がない子供は居ないのよ

 

虫が鳴いている
今この瞬間しかない場所で虫が
誰かを探して永遠に鳴いている

 

誰かを探して私はまだ泣いている
既に幾度も別の肉体を纏ってきた私は未だに
誰かを探して呼応を求め
一人鳴いている

 

 

 

 

 

 

《創作》平手打ち

 

「いつも両目がすごく奥のほうにあるのよ、洞窟の中から明るい日差しを見ているみたいな感じなの、つまり外界というものが私には存在しないと言ってもいいわ、とても奇妙な感じよ、でもこれを奇妙だと思っているということはね、私にとって通常であるという状態を私は何処かで体感しているということでもあるの…それは、現実ではない何処か別の場所でよ、何処か別の場所でなら私、何もかも納得がいくのよ」

 

ずっと孤島で代々生活を営んできた人間たちには外部というものが無いと感じる事があるらしい、自分の感覚器官で感じたものだけしか実在しないという主観を素朴実在論という…この女の場合その逆だった、女はまさにこの島国に流刑されたと自らを主張しているのだった。
女にとって現実というものが切実に、全く不確かで触れることすら出来ないと感じているのが僕に、「確かに」伝わってきた。
おかしい、と僕は思った、どうして不確かなものほど信じられるのか自分でも疑問だった、永遠に10代前半で成長が止まっているようなこの女と話していると何故か僕は安心するのだった。
女と僕は公園に居た、昼下がりの巨大公園には人が溢れていた、僕は自分の妻との話を思い浮かべながら目の前の女の話を聴いていた。

 

「神無月くんを私は好きなのよ、写真で見たり電話越しの声を聞いただけの神無月くんをね、私はあなたにその写真を送られるその時には神無月くんが確かに実在していると感じる事が出来るのよ…でもね、あなたが居なくなって、神無月くんの事をあなたも関知出来なくなって…そしたら私にも神無月くんは存在しないことになるの、だって会った事も無い神無月くんを、いつまでも愛でるなんて不可能だわ」

 

女はさらに曖昧な事を言い出していた、さっきは「目で見たものほど実在しない」と言っていたのに今度は「目で見ていないから実在しない」と、意見そのものを反転させていた、僕は黙っていた、蝉が鳴いていた。
今この女は僕の目の前に実在している、同時に、女の本性は全く不確かなもので、それは作品を通してしか触れることの出来ない幻であり、その幻こそが女そのものだと僕は思った、僕は昔、多くの人間がそうであるように自分を天才だと思っていた。

 

僕の両親は教員とその妻だった、二人とも勤勉で働き者だった。
父については不思議なほど記憶が曖昧で、一番強烈に覚えている事と言えば、いつもきちんとした振る舞いをしていた父の書斎の片隅に、SMのアダルト雑誌が置いてあった事くらいだ、僕はそれを手に取って少しだけ覗き見た、黒い紐で縛り付けられた女体がいくつもいくつも物のように転がって写真に収められていた。
その本をめくる時にはまるで、洞窟の中から外側を恐る恐る覗き見ているようだった、僕は洞窟の内側に住んでいた、父の本体は洞窟の外側の亜空間に在ったのではないだろうか。
父と母がセックスをしている場面に出くわしたことはないし、父が下品な物言いをするのも聞いたことも無い、父は情動をひた隠しにしていたのだろう…父は何処の現実を生きていたのだろうか?父は何処に実在していたのだろうか?
父と母はどれほど親密だったのだろうか?
もしかして本当に二人が対面したことなど一度も無いのではなかろうか?
…形だけの家庭だった…のかもしれない、僕は妻のことを考えた、目の前の女は僕を無視して喋り続けていた。

 

「鳩になるとね、全部理解出来るのよ、地形は全て一度見たら覚えられるの…そういうときに私実感するのよ…全てが自分なんだって事をね、誰と誰、とかそれとこれ、そことここ、には境界線が無いのよ、遙か彼方の山が削られても私はそれを知覚するのよ、それを私の肉体は知覚しないだけよ、けれど私自身は知っているのよ、あなたすら私だって事を、内側や外側すら無いということをね」

 

僕は女の話を聞き流しながら妻のことを、妻の育った家庭を思い浮かべた。
妻の両親も僕の両親とよく似ていた、公務員とその妻、その間に生まれた娘が妻だった。
妻とは美大時代に知り合った…だが、僕は妻の絵にそれほど興味が湧かなかった、妻の絵はどこまでも洞窟の内側でしかなかった、外側が垣間見えることは無かった、それが妻の、妻たる品行方正な所だった。
僕は何の疑問も持たなかった、家庭というある種の型を営み、妻もそれに満足していることを僕も知っていたし、僕もその型を死ぬまでやろうと思っていた、少なくとも子供が大きくなるまでは型を守ろうと思っていた。
型は、洞窟なんだ、あの洞窟は僕らの住処で、外側のことはどこか余所の事象なんだ…洞窟の入り口に女が立っているのが僕には見えて、それはきっと僕の父親も見ていた女なのだろうと僕は思ったんだ、だから声をかけた…妻の父親と同じように僕は余所に女を作った。

 

その日の妻は泣いていた、だが脱力して全てを冷静に受け止めようとしていた。
自分の父親も長年浮気していたと妻は言った、父親が家庭の外に女を作っていて、母親はあるときにそれを知り、それ以来父を事あるごとに厭味で小さく攻撃すると妻は言った、彼等は今でも一緒に暮らし続けているという。
自分の母親が嫌いだと妻は言った、ああいう風にはなりたくないと妻は言い、涙を拭った、そして言った。
「別れましょう」

 

それからも妻の問いは続いた、僕らは頻繁に話し合った。
「その人も誰かの妻なんでしょう?」
妻の問いに僕は何と答えて良いのかわからなかった、そして僕は言った。
「彼女は僕らと同じ日本人だけど…多分、全く別の生活をしてきた人だよ、情動の面でね、親のセックスを見ながら育った人だよ、よくわからない哲学を持ってる人で…とにかく変な人だよ」

 

僕は言ってから、これが全く答えになっていない事を悟った、僕自身、女の事を妻に何と言って説明したらよいのか途方に暮れた。
洞窟という原始的な血族の型の、外に突っ立ってる人だよ。
僕の父親の見ていたSM雑誌に載ってたような女だよ、僕の父親の夢想してた女だよ、それが実在してたんだ。
もしかすると君のお父さんの浮気相手みたいな女かもしれない。
何の役にも立たない人だよ、ただの馬鹿女だよ。
役に立つとか立たないとかを理解出来ない人だよ。

 

僕は恵比寿に住んでいた頃を思い出していた、妻と二人で暮らしたその建物からは、公園の木々が見え、春の朝なんかにはこの世とあの世の区別が曖昧になるくらい素晴らしい場所だった。
僕は妻との生活に満足していた、何一つ欠けていないと僕は思っていた、そして僕は家庭の外側を覗き見るようになった…僕の父親がそうしてきたように、妻の父親がそうしてきたように…猥雑な事や、およそ言葉では語ることの出来ない理解不能の物事について、何の役にも立たない物事について、僕は手を伸ばし始めていた。
型を守ってきた男たち同様、型の外側に手を伸ばすことを僕はやめられなかった。
このまま僕らが一緒に生活する場合、僕はもう携帯すら持たせてもらえないらしい、妻は言った。
「当たり前でしょう、どうして酷いことをしようとするの?」

 

僕はふと思って目の前の女に尋ねた。
「ねえ、あやさんのお父さんはさ、どうしてお母さんだけをずっと抱いていられたの?」
女は首を傾げていたが、すぐに笑い出した。

 

「それしか抱く女が居なかったからじゃない?いや違うわ、それしか話の通じる女が居なかったからよ!あの偏屈者は他の女とは会話が成り立たないもの!私の父親にとって一緒に居て楽しい人が偶然、私の母親だったってだけよ…数学、宇宙、旅…これが合致してただけの話よ、二人ともこの世が閉鎖された世界で、何処か別の次元に本当の世界が在るって信じているのよ…ああ、これって人間にとって実は普遍的な気持ちなのかしらね…とにかく現実には実在しない場所を、その人と居る時にだけ確かに実在すると感じられた、それがたまたま男女だっただけの話よ」

 

二人精神病という不穏な言葉が僕の脳裏に浮かんだが、これを口に出すのはさすがに無粋な気がした。
だが単に「あやさんのご両親は愛し合っているんだね」と言うには何か違和感を拭えなかった、よって僕は黙って、病的気質の申し子であるような目の前の女を、ただ見つめていた。
女は見つめられる事に満足した様子でにやりと笑った、女自身が感染源であるような気がして僕はそれとなく目を逸らした。
僕はいずれ女の目の前から物理的には居なくなるだろう、にも関わらず僕はこの女と繋がっている。
居るけれど居ない、居ないけれど確実に居る、僕の中に既にこの女は居て、僕に洞窟から出るように、物事の見えない部分や知覚出来ずにいる外側を見せようとしている、それが終わることなど無いのだ…と、僕は言ったが女はその度に首を横に振るのだった。

 

「あなたは何処か遠くへ行ってしまう、そこの食べ物を食べたらもうこっちの事は忘れてしまうのよ、見えないことは存在しないのと同義よ、触れられないのなら私はあなたにとって居ないのと一緒よ、あなたが新天地に赴いたらすぐに、あなたには新しい恋人が出来るでしょ、それでいいのよ…」

 

女は既に失恋気分を味わっているらしかった、僕はそもそもこの女を、女という意味ではSM雑誌に載っている女程度にしか認識していない、特に恋などしていない。
女自身も僕に恋などしていないはずだった、なぜなら女には憧れの人がいつでも居て、女の精神の内側にやってきては、女の洞窟を明るく照らしていたのだ。
女はひたすら、僕が物理的に遠くへ行くことを惜しんでは、それを引き留めまいと自問自答しているらしかった。
女は言った、首筋に流れる汗が涙のように見えた。

 

「神無月くんは…もう、あなたと一緒に住めないことを知っているの?私、神無月くんの手助けがしたいのよ…でも、会えないのならやっぱり、居ないのと同義なのよ」

 

息子の神無月のことは僕も心配だった、だが僕が型どおりの生活を営んで居る限り、神無月もまた型を守る大人に成長し、やがて洞窟の外側に居るこの女のような女を求める男になるだろうと思った、浮気をする男にしか成長出来ないだろうと僕も妻も思ったのだ。
つまり僕が出て行く方が、情動の面では、善い事のような気がしていた。
しかし金銭面で女が慰謝料を支払うというのなら、正直なところ願ったり叶ったりだった…だが、それは僕に罪悪感を生じさせた、ただそれだけが嫌で僕は妻に言ったのだ、女に慰謝料を支払わせるなと僕は妻に頼んでいたのだ。

 

「何処か別の場所でなら全てが自然なのよ、私も神無月くんにたまに会いに行って、送り迎えをして、お給料の一部を神無月くんの養育費として奥さんに渡して、挨拶して普通に過ごすのよ、あなたがあなた自身の幸福の為にどこか余所へ行くのだって私、それならすごく自然な事のように思えるのよ…でも実際には私は神無月くんに関与出来ない、出来るのは罰として支払う慰謝料だけ…あなたも居なくなる…世界の全部が遠いわ」

 

「一緒に来たっていいんだよ」
と僕は何の意味も無く言った、その瞬間僕は頬に痛みを感じた、女が僕の頬をしたたか平手打ちしたのである。
女はしばらくの間、それを繰り返しながら寂しげに笑った。
笑いながら泣いている風だった。
僕は昼下がりの公園で女に頬を打たれる度に、恵比寿に暮らしていた頃の春のそよ風を感じた、つまりあの世とこの世の区別や、洞窟の内側や外側の区別が曖昧になり、鮮烈な空気が僕の体内へ流れ込んでくるのを僕は感じ、どこか幸福な気持ちになったのだった。